「雨月物語」とイラク問題

雨月物語 上 (講談社学術文庫 487)

雨月物語 上 (講談社学術文庫 487)


雨月物語は江戸時代に書かれた怪談の傑作であり、イラク問題は現在進行中の混迷を極める難事である。ブッシュ再選されたし。
こういう話は普通はくっつかない。
だがこれをくっつけて見せるのが芸の力というものである。
しばしお付き合い願いたい。



雨月物語、巻の一、「菊花の約」。舞台は播磨の国加古、今の兵庫県加古川市である。時代は戦国時代、作中の出来事から文明十八年(1486)あたりの事と分かる。
主人公は丈部左門、清貧を貫く高潔な学者である。
さてある日のこと、左門は訪ねた知人の宅にて、病に伏せる旅人のうめき声を聞きつける。知人の話によると、急の病に倒れ、瀕死の有様で、しかも流行病かもしれぬということで知人の家ではもてあましているらしい。酷い話である。
義に厚い人である左門は流行病の恐れなど気にもせず、その旅人を献身的に看病する。
看護の甲斐あって旅人の病は快方へと向かう。旅人は名を赤穴宗右衛門。出雲の国の富田(島根県能義郡広瀬町富田)の城主塩冶掃部介に軍師として使えていたが、塩冶の主人、近江の佐々木氏綱の元に密使として赴いている間に、富田の元の主である尼子経久が兵を起こし塩冶掃部介を攻め滅ぼしてしまったのである。
尼子氏は代々富田の代官としてこの地を治めてきたが経久の代になって反逆し、佐々木氏綱によって追放され、後に塩冶が据えられたという経緯があった。戦国時代の典型的な一光景である。
赤穴宗右衛門は佐々木氏綱に尼子を討つよう進言したが煙たがられ、かえって監禁される始末である。佐々木は頼むに在らずと悟った赤穴宗右衛門は佐々木の元を抜け出し出雲へ向かう途中病に倒れたという次第であった。
赤名宗右衛門は左門の献身的な看護に感動し、また左門も赤名宗右衛門の学者としての力量に感服するところがあったから、ふたりは義兄弟の契りを結ぶ。
左門の好誼に甘えていささか長逗留していた赤名宗右衛門だが出雲の動静を探り尼子氏打倒の可能性を探るために出立する。そして左門に九月九日の重陽の佳節に戻ってくると誓うのであった。この日は菊の節句である。
さてその九月九日である。左門は朝早くから宗右衛門を出迎えるための支度をする。老母に「宗右衛門が来てから支度を始めても遅くはない」と心配されるが、「宗右衛門は武士であるから約束を違えるなどありえない。姿が見えてから支度を始めるなど恥ずかしい」という有様である。
しかし宗右衛門は来ない。昼が過ぎ夜になっても来ない。夜になっても左門は家の外で宗右衛門の訪れを待ち続けている。そして月の光が山の端に落ち、今日は終わりかとあきらめて戸口を閉めようとした時、ようやく宗右衛門がやってきたのである。
左門は宗右衛門を家に招き入れ酒肴を勧めるが、宗右衛門は手をつけようとしない。訳を聞くと宗右衛門は恐るべきことを語り出す。自分は死霊なのだと。
宗右衛門が富田に戻ったところ、国人は塩冶の恩を忘れ、尼子の威勢に服すものばかりである。宗右衛門は従兄弟の赤穴丹治を通して尼子経久に近づき内情を探ろうとするが、尼子経久の命を受けた赤穴丹治によって監禁されてしまう。
このままでは左門と約束が果たせぬと追いつめられた宗右衛門は死を選び、魂となって左門のところへやってきたのであった。
他に左門との約束を守る道がなかったこと、左門に母親によく尽くすように語ると宗右衛門の姿は消え失せたのである。
翌朝、左門は「せめて骨のかけらでも拾って兄、赤穴の信義に応える」と母親に言い、出雲へと向かう。宗右衛門の従兄弟、赤穴丹治の元を訪れた左門は、塩冶の恩に殉じた宗右衛門を生け贄にして尼子に媚びる大罪人であると赤穴丹治を断罪、一刀のもとに切り捨てて去る。この話を聞いた尼子経久は左門の後を追わせなかったという。

すいませんねえ。長くて。短い話をさらに短くするのは難しいのだ。

さて雨月物語は二百年以上前に書かれた物語で、作者、上田秋成が序文で語るように絵空事である。死んだ人間が島根県から兵庫県まで霊魂となってやってくるなどただの怪談話である。
ところがである。島根県から兵庫県どころか、地球の反対側で殺された人間の亡霊がネットを通して我々の眼前に現れるなんてことが起きているのである。
それなのにである。ブッシュ再選や新潟大地震楽天来仙といったニュースに紛れてみな関心を持とうとしない。日本国は上から下まで彼のことを忘れるので忙しい。
僅かに関心を持つ人もいるが通り一辺倒な反応しか示さない。ましてあんな愚か者は死んで当たり前などという奴さえいる。人が殺されて愚かと何事か。まあ男性が女性をボコ殴っても男性は悪くない、礼儀知らずが悪いなどと言い放つような輩がうようよいる国なのだから仕方在るまい。
同じ国民がよその国の人間に殺されたのである。しかも死の光景を垂れ流されているのである。にもかかわらず誰も怒らない。日本国民上から下まで怒るべきである。そして敵を討つのだ。それが普通の国のやることである。それをしないから日本は去勢された国とかいって嘗められるのだ。
いつから日本はこんな義を欠いた国になってしまったのか。今の時代に丈部左門はいないのか。



なんて話を僕が書くわけがない。芸をちょっとやってみたまでだ。
ところで上にあらすじを書いた「菊花の約」だが、この話の怖いポイントはどこだろうか?
約定を守るために自ら死霊となった宗右衛門が左門の前に現れるところ?いや、それは読みが甘い。
一番怖いのは赤穴丹治が丈部左門に殺されちゃうところである。
赤穴丹治の身になって考えて見ればいい。もともと富田の地は尼子一族が代官としてではあるが代々治めてきたのである。それをある日突然新参の塩冶掃部介が降ってきたのである。この塩冶に恩を感じろという赤穴宗右衛門の方がおかしい。尼子一族に忠義を尽くすのが自然である。赤穴宗右衛門という人は、丈部左門に比べれば世情に通じた人物として描かれているが、この点やはり学者であろう。
この時代の人間は家名が大事である。場合によっては家名を残すために二手に分かれて争うこともある。どちらが生き残ればいいというわけだ。そして在地勢力の尼子に刃向かおうとする赤穴宗右衛門は赤穴一族の存続にとってはかなりの脅威だったのは間違いない。赤穴宗右衛門は本来の出雲守護である佐々木京極氏の力を頼ろうとするが、在地勢力が京都の中央勢力の支配をはね除けて自立していくというのが戦国時代初期の情勢である。

あらためて富田城主となった経久は、月山西南部の三沢氏に眼を向け、長亨二年(1488)三月機略をもって降伏させた。これをみて、飯石郡北部の三刀屋氏、同南部の赤穴氏をはじめ、他の国人、諸将らもまた風をのぞんで、経久の軍門に降り、国内統一戦はひとまず落着した。
話が脱線したが、赤穴宗右衛門の件についてはとにかく現実的な選択が成された。赤穴丹治は尼子の命令で監禁しただけである。尼子経久にしても殺すつもりはなく、ただ頭を冷やせくらいのことだったのだろう。自裁されて二人とも後味の悪い思いをしたかも知れない。
そこへですね。どっからか電波受信しちゃた人間がやってきてですね。義がどうたらという青臭い理由を並べたてて断罪したあげく、ばっさり斬っちゃうわけですよ。こんな恐ろしい話がどこにありますか?
この赤穴丹治が殺される場面というのはよく読むと結構おかしい。丈部左門は中国戦国時代の魏の公叔座の故事を引っ張り出してそれに比べてあなたはどうなのかと論難するのだ。論難されて赤穴丹治は「頭を低くして言葉なし」になる。素直に読むと自分の非を認めているように見えるが、「なんですか、この人は?」のぽかーん状態だったのかもしれない。
実は丈部左門もいうひともちゃんと読むとというか、講談社文庫版の青木正次氏の解説によるとあまり良くは書かれていない。「清貧を憩いて、友とする書の外はすべて調度のわずわはしきを厭う」といえば聞こえがいいが、孟母みたいなおっかさんに食わされているという、今風に言えばヒッキー君なのですよ。そういう現実から遊離した人間だから幽霊の言うことを真に受けて人をばっさり斬るということが出来るわけですな。
現実的に生きている人間が非現実的な世界からやってきた香具師にばっさり斬られてしまう。これが「菊花の約」の真に恐ろしいところである。

香具師と書いた通り、これは今は昔の話ではない。
例えば香田さんの自宅には嫌がらせの電話がじゃんじゃんかかってきたのだが、こんな香具師も丈部左門の末裔である。
それどころか僕のようなBloggerはみんな丈部左門である。
ネットで適当なネタを見付けてきてはばっさり斬る。これがBloggerの標準的な生態である。
BloggerならよくBlogで適当なことを書いたら、見ず知らずの人間がリファなりトラバなりを送りつけてきて、そいつにばっさり斬られちゃたという経験はあるだろう。赤穴丹治状態である。
赤穴丹治は丈部左門を迎えた時に「翼あるものの告ぐるにあらて」と言った。「なんでおまえはそんなことを知っているんだよ」という意味である。現代の丈部左門は鳥のお告げの代わりにgoogleRSSやカトゆー家や2chを使うのだ。はてなおとなり日記キーワードリンクも鳥のお告げであろう。
もっともそんなふうにばっさり斬られるエントリの方も丈部左門だったりするから救いがない。
結局Bloggerとして生きるということは丈部左門になったり赤穴丹治になったりを繰り返すということなのだ。修羅道というより外はない。
二百年前に上田秋成が怪談として書いた情景が日常化している。こんな恐ろしい話がどこにあろうかとオチをつけたところで本稿は終わる。
ところで「菊花の約」は「雨月物語」ではあまり怖い方の話ではないのだ。表面的には友情と信義の話として読めるし。もっと怖いのは「浅茅が宿」、「吉備津の釜」、「蛇性の淫」、「青頭巾」…。