コミュニケーション失調症候群

それは言い換えれば、メッセージの受信者には「複数の解釈可能性のうちから、自分にとって最も不快な解釈を選択する権利」が賦与されているということである。
コミュニケーション感度の高い人間とコミュニケーション感度の低い人間のどちらがこの権利を活用することになるのか、想像することはむずかしいことではない。
結果的に 私たちの社会はこれから自分宛のメッセージが含む複数の解釈可能性の中から、自分にとって最も不快な解釈を選択することを政治的に正しく、知的なふるまいとみなす人間たちを量産してゆくことになるだろう。

少し違うと思う。
昔はエライ人には、「複数の解釈可能性のうちから、自分にとって最も都合のいい解釈を選択する権利」が賦与されていたのが、今は万人がそういう権利を得たというだけではないかと。

殺害実行は4人 長野地検 佐久の強殺で7人起訴

ちょっと長いが引用する。なんとも世も末な事件である。なんでしょうね。この人の乱雑さは。

伊藤被告と住所不定、無職城後健一(29)、ブラジル国籍で群馬県太田市レンタルビデオ店手伝いアンドレ・ルイス・アキラ・ド・アマラル(33)、アルゼンチン国籍で同県伊勢崎市、無職ルーザック・ミウラ・マキシミリアノ・エルナン・アンドレス(31)の3被告は「静かにしろ、騒ぐと殺すぞ。金庫どこにある。お金ださなければ殺す」と岩渕さんを脅し、両手足を粘着テープで縛るなどした。隣の部屋にいた酒井さんの顔を殴るなどしたところ激しく抵抗され殺意を抱き、伊藤被告が腕や衣服で酒井さんの首を絞めて殺害。現金5000円とキャッシュカード1枚、指輪2個(13万円相当)を奪った。

押し入って物色などに関わった東京都荒川区、無職佐々木彰被告(73)と、当日犯行現場に行かなかったものの下見や共謀、人集めをした住所不定、無職中村謙二(42)、「大金がある」と情報提供した群馬県藤岡市、無職池沢幸二(47)両被告については殺害行為に関与していないとし、強盗致死罪を適用した。

 群馬県前橋市、無職神山真弓容疑者(28)は処分保留で釈放。佐久署捜査本部が、別の事件でだまし取ったと知りながら貴金属を質店に売ったとして、盗品等処分あっせんの疑いで再逮捕した。

年齢国籍住所バラバラ。

胃袋の意見を克服する方法


雨が降ると憂鬱になる。どうしようもなく気鬱になる。
フランスの哲学者アランはこうした自らの意のままにならない不幸な気分を情念と呼んだ。アランの語録には雨に言及したものがいくつもある。雨を情念をかき立てる代表格として紹介している。

小雨が降っているとする。あなたは表に出たら傘をひろげる。それでじゅうぶんだ。「またいやな雨だ!」などと言ったところで、なんの役に立とう。雨のしずくも、雲も、風も、どうなるわけでもない。「ああ、結構なおしめりだ」と、なぜ言わないのか。

幸福論 (集英社文庫) 63 「雨のなか」

人間の精神は外部の環境、それも小雨程度のものにすら容易く左右される。アランはそのことをよく承知していた
またアランは情念を胃袋の意見とも呼んだ。「情念をはぐくむのは肉体の動きなのだ」。アランにとっては己の肉体すらも精神の外側にある事物であった。
さてアランの言うように人間、雨に対しては無力である。これはどうにもならない。だが胃袋に対してはどうだろうか。
これはどうにかならないこともない。
どうやって?
決まっている。
旨いものを食えばよいのだ。
こうして昼飯代を奮発するための理論的根拠は確立した。しかも哲学的である。哲学とはおのれの意見に箔を付けるための玩具ではなく、幸福に生きるために実践すべき知恵である。これがアラン哲学の骨子である。
さて奮発といっても、奮発したのは電車代だ。会社の近くにはうまい食い物屋がない、うまい昼飯を食うにはいつもならてくてく神楽坂まで歩くのだが、さすがに雨の中そこまでやる根性はない。いやアランならこういう状況を「うまい昼飯を食いに行くのだ」と言って克服するのかもしれないが、僕は軟弱者である。軟弱者らしく地下鉄に乗っていった。
行った先は神保町だ。
なぜ神保町か?
決まっている。どうせ電車代を弾むのだ。食い物だけではもったいないではないか。
店はアルカサールにした。キッチン南海の近くのハンバーグとステーキの店である。いつも申し訳ないと思いつつも一番安い150gハンバーグ880円を頼む。まあみんなランチはこれを頼むのだけど。
待つ事しばし、鉄板に載った熱々の和牛100パーセントのハンバーグが出てくる。しかもここのハンバーグ、中はレアだ。ここで店員さんがハンバーグにソースをかけてくれる。まだ熱い鉄板の上に注がれたソースはジュウと音を立てて沸騰する。これがいつもたまらん。後は鉄板の上のものを付け合わせから何から平らげて満腹になる。僕は小食なので150gハンバーグだけで満腹になるのだ。一番安いのを頼むのはケチなだけじゃないんですよ。
こうして肉体的には情念がかなり薄れた僕は、短い間といえしばし書店街を探索した。そして地下鉄神保町駅内のファンケルハウスで青汁ミックスを飲んで昼休みの小さなトリップを締めくくった。手にはいつのまにやら"BOOKS SANSEIDO"と書かれたビニール袋が収まっていた。戻ったころには雨も上がっていた。
こうして天候的にも肉体的にも情念から解放された僕はかなり満ち足りた気分に至ったのである。