胃袋の意見を克服する方法


雨が降ると憂鬱になる。どうしようもなく気鬱になる。
フランスの哲学者アランはこうした自らの意のままにならない不幸な気分を情念と呼んだ。アランの語録には雨に言及したものがいくつもある。雨を情念をかき立てる代表格として紹介している。

小雨が降っているとする。あなたは表に出たら傘をひろげる。それでじゅうぶんだ。「またいやな雨だ!」などと言ったところで、なんの役に立とう。雨のしずくも、雲も、風も、どうなるわけでもない。「ああ、結構なおしめりだ」と、なぜ言わないのか。

幸福論 (集英社文庫) 63 「雨のなか」

人間の精神は外部の環境、それも小雨程度のものにすら容易く左右される。アランはそのことをよく承知していた
またアランは情念を胃袋の意見とも呼んだ。「情念をはぐくむのは肉体の動きなのだ」。アランにとっては己の肉体すらも精神の外側にある事物であった。
さてアランの言うように人間、雨に対しては無力である。これはどうにもならない。だが胃袋に対してはどうだろうか。
これはどうにかならないこともない。
どうやって?
決まっている。
旨いものを食えばよいのだ。
こうして昼飯代を奮発するための理論的根拠は確立した。しかも哲学的である。哲学とはおのれの意見に箔を付けるための玩具ではなく、幸福に生きるために実践すべき知恵である。これがアラン哲学の骨子である。
さて奮発といっても、奮発したのは電車代だ。会社の近くにはうまい食い物屋がない、うまい昼飯を食うにはいつもならてくてく神楽坂まで歩くのだが、さすがに雨の中そこまでやる根性はない。いやアランならこういう状況を「うまい昼飯を食いに行くのだ」と言って克服するのかもしれないが、僕は軟弱者である。軟弱者らしく地下鉄に乗っていった。
行った先は神保町だ。
なぜ神保町か?
決まっている。どうせ電車代を弾むのだ。食い物だけではもったいないではないか。
店はアルカサールにした。キッチン南海の近くのハンバーグとステーキの店である。いつも申し訳ないと思いつつも一番安い150gハンバーグ880円を頼む。まあみんなランチはこれを頼むのだけど。
待つ事しばし、鉄板に載った熱々の和牛100パーセントのハンバーグが出てくる。しかもここのハンバーグ、中はレアだ。ここで店員さんがハンバーグにソースをかけてくれる。まだ熱い鉄板の上に注がれたソースはジュウと音を立てて沸騰する。これがいつもたまらん。後は鉄板の上のものを付け合わせから何から平らげて満腹になる。僕は小食なので150gハンバーグだけで満腹になるのだ。一番安いのを頼むのはケチなだけじゃないんですよ。
こうして肉体的には情念がかなり薄れた僕は、短い間といえしばし書店街を探索した。そして地下鉄神保町駅内のファンケルハウスで青汁ミックスを飲んで昼休みの小さなトリップを締めくくった。手にはいつのまにやら"BOOKS SANSEIDO"と書かれたビニール袋が収まっていた。戻ったころには雨も上がっていた。
こうして天候的にも肉体的にも情念から解放された僕はかなり満ち足りた気分に至ったのである。