被ったBloggerは削除されるか?あるいはアルファブロガーへの道

第20回 意思主義とネット人格・キャラ選択時代
http://hotwired.goo.ne.jp/original/shirata/050607/textonly.html

ネット時代においては人はキャラを使い分けるようになるから云々というお話。

おもしろいと思ったのはこの辺。

しかしながら、物語世界では、同じ機能を果たすキャラは複数必要ない。まして、物語の進行に貢献しないキャラクターは必要ない。主役と彼をサポートする類型的なキャラクターが配置され、それに対する類型的な悪役群とヤラレ役のザコキャラが配置される。残りの連中は無視だ。ある「場」において排除された人たちは、同じ物理空間内であっても、別の「場」を設定して、そこでのキャラを獲得することになる。こうして、物理的な空間、たとえば学校のクラスが一つであっても、そこには複数の「場」が生じることになる。クラスに生じる「グループ」というのは、こうした「場」を共有する集団だと考える。

社会的キャラでは、地位が先行していたから、キャラの奪い合いはすなわち社会的地位の奪い合いであった。ところが、仮想的キャラの場合は、フラットな位置づけにあるそれぞれの人々が、まず「場」の支配を争い、次にキャラを奪い合う競争をする。秩序とか権威といったものが決定してしまう社会的キャラの場合よりも、自由な参加者が自由に奪い合う仮想的キャラの場合のほうが、競争は熾烈かもしれない。これが、「キャラ選択」が重要な価値としてみられるようになった理由ではないだろうか。

Blog世界においてはどうなのだろう。
とりあえずBlog世界というのをある一人のオーディエンス(久々に使うなこの言葉)が見るBlogによって構成される世界と仮定してみる。もっと具体的にいうとRSSリーダーやアンテナに登録されたBlogのリストということになる。
この場合、オーディエンスは「このBlogとこのBlogはキャラが被っているからどっちかdeleteしちゃえ」とかやるかな?ニュース系だと結構ありうるかもしれないなあ。
さらにBlog世界の定義を拡張して、注目度が高いBlogによって構成される世界だとしてみる。具体的に言うとアルファブロガーとかその辺になる。
このトップブリーダーじゃないやトップブロガーの仲間入りをするには既存のブロガーとキャラが被るのは大きなマイナスになるだろうか?
いや逆かもしれない。場のキャラと違ってオーディエンスの場合、わざわざ対立構造を自分の購読リストに持ち込もうなんて思わないだろう。むしろ今読んでいるBlogと似たような傾向や信条を持つBlogを購読リストに加えようとするのではないか?Blogはなんだかんだいって繋がりの世界だ。
そうなるとアルファブロガーへの道はこんなやり方で進めばよいのか。

  1. 既存のアルファブロガーのファンサイトから始める
  2. ビシバシトラバッてアルファブロガーのサポーターサイトに昇格する
  3. アルファブロガーのエントリで取り上げてもらって認知度をさらに高める
  4. 適当にPVが増えてきたところで独り立ちを始める

具体的には…まあいいや。
問題はここから先で

  1. アルファブロガーにふさわしいエントリを書き続ける
  2. 弟子を育てる。かつての自分のようなBloggerを引き上げる

まるで家元の世界だ。自ら手本を示しつつ弟子を育てる。
アルファブロガーへの道は厳しい。アルファブロガーでありつづけるのはもっと厳しい。
もっとも実際には「弟子を育てる」というあたりまで意識的にやっているのはキムタケ先生くらいだろうけど。