富士通の思い出

本屋で偶然発見。調べてみると話題の本であった。

内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)

成果主義をいち早く取り入れ、大成功したはずの富士通の崩壊ぶりを告発した本。
笑えるポイントは多数。「人事部はエリートなので全員A評価は当たり前」など。

僕は富士通と少しだけ関わりがあった時期があるので懐かしく読めた。僕が関わっていたのは富士通が本格的にバタバタし始める直前までだが、あの頃と企業体質は変わってないらしい。ということは富士通は改革に失敗したというわけだ。

富士通というか富士通に限らず日本の企業、いや大組織は「無謬主義」で動いている。我々の組織は一点の曇りもなく万事順調に運営されていますという建前である。このような考え方はリスク・マネジメントと相性が悪い。リンクを管理するにはまず問題が起きる可能性があるということを認めなくてはならない。ところが全てが完璧に運用されている以上、問題が起きる事はあり得ないのである。よってリスク・マネジメントなどやる必要はないという事になる。
さらにまずい事がある。無謬主義の下においては偉い人が承認しちゃったことは完璧に正しいのだ。偉い人が承認したことに間違いがあるはずがない。どう見ても問題だらけのプロジェクトだって、上からのゴーサインが出てしまえば、予算だってスケジュールだって完璧なのである。
僕が関わったのもそんなプロジェクトで、現場レベルではこんなスケジュールでは絶対うまくはずがないとみんな思っていたのだが、ゴーサインが出てしまった。噂によると担当役員が期日通りに絶対完成すると明言しないと、部門自体の存在意義が危うくなるという特殊事情があったらしい。
こんなプロジェクトだから順調に遅れ始めた。無謬主義にはおかしなところがあって、絶対にこれ以上どうにもなりませんという状況にはなぜか寛容である。逆に言うともう手遅れみたいな状況が発生しないと計画の変更は認められない。問題がありそうな兆候があるから早めに手を打つというのはミクロのレベルでしか行えないのだ。だって計画は完璧だから早い段階から問題が起きるなんて事はありえないのだ。
そんなプロジェクトでも何とか形をなし、完了する見込みは見えてきた。よって出荷に向けて最終期限が設けられた。この最終期限は絶対に守るべしという猛烈な圧力がかかったのは言うまでもない。一度などは富士通の上の方から、期日通り絶対に完成させるべしというメッセージが僕ら下っ端の方まで送りつけられて来たことがある。定時よりも速く出勤し、日付が変わる直前まで居残り、しかも超過勤務手当が付かない日々が続いた。僕は泊まり込む羽目にはならなかったが、そうなった人も多かった。
そして新聞発表の日が来た。翌朝、僕は出勤途中に駅で日経産業新聞を買い込み、我らがプロジェクトの記事を捜した。記事は載っていた。自分が関わったプロジェクトが新聞ネタになるのは初めてだったので少し嬉しかった。ここまでよかった。ところがである。記事をよく読むと出荷予定日が1ヶ月延びているじゃありませんか。なんともはや。昨日まであれほど最終期限が延びることはあり得ないから総員奮励努力せよと連呼されていたにも関わらずだ。
その日の午後、「最終期限は1ヶ月延びました。頑張りましょう」という趣旨の紙切れが回覧で回ってきた。紙切れに書いてあった名前は例のお偉いさんではなく、現場の長の人のものであった。僕から見ればとても偉い人だが、こういう役回りを演じるのは、中間管理職と相場が決まっている。

もう一つ懐かしく読めたネタは食堂の件である。僕は富士通で工場というかそういう事業所に2カ所勤務した。最初の職場は歴史と伝統のある、ボロいところであった。食堂もボロかった。しかし内容は最高であった。まず朝食が出る。しかも安い。どのくらい安いかというと、朝食にありつくために早めに出勤した分の超過勤務手当でおつりが来た。タダ飯が食えたのだ。今でも貧乏だが、新人でピーピーしていたころの僕にとっては大いに有り難かった。朝食はもちろん夕食も出た。メニューも豊富で値段も安かった。
その後、別の事業所に移った。そこは建物が新築されたばかりで、食堂もピカピカだった。しかし内容はと言うと、朝食は出ない。昼食はメニューはどの皿を選ばないかという程度しか選択の余地がない。夕食は昼食の残りが再調理されたものが出て、これが冷たい。味噌汁も冷たかったような気もするがこの点は記憶が定かではない。どうも調理士の人が昼食を作ったらすぐに帰ってしまい、後は冷蔵庫に突っ込まれて夕食まで保存されていたようだ。そのころ我々は上に書いたプロジェクトのおかげで残業を強いられており、周囲には他に飯が食える場所がなかった。

いやほんと、他にもここにはちょっと書けない事をいくつか思い出した。今となっては懐かしい思い出ばかりだし、あの頃はまだ富士通にとっては良き時代だったらしい。


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