見ることの塩

見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行

見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行

なんとかパレスチナ編を読了。450頁の分厚い本とはいえ、文章が綺麗で読みやすく、しかも一編20頁程度の連作エッセイ形式だから割と簡単に読み進められると思ったのが大間違い。実は一字一句たりとも安直に読んではいけない本だと判明。読み始めた当初はさっさとパレスチナ編を読み飛ばして、セルビア編は後から来たオシム本と平行して読み比べるのも一興かなんてことも考えていたが、そんな目論見は論の外だった。
だから安易な要約や批評はできない。ただ一点だけ興味深い構図を引っ張り出してみるに留める。
実はイスラエル多民族国家である。まず人口の19パーセント、5人に1人はイスラエル国籍を持つアラブ人である。残りは一応ユダヤ人ということになっているが、見た目はどう見ても多民族なのだ。西欧系のアシュケナジーム、地中海沿岸から移住してきたスファラディーム、アラブ系のミズラーヒーム、それに冷戦後に大量に移住して来たロシア系東欧系の人々。彼らの共通点はユダヤ人ということだけで、文化的には西欧人、アラブ人、ロシア人であり続けている。しかし表に出てくるのはほとんどアシュケナジーム、西欧系の人達ばかりである。
だからかなり皮肉な状況が存在する。よく知られているようにアメリカはイスラエルに肩入れしている。肩入れする理由はたくさんありすぎるが、最大の理由は文化的親近感だろう。多くのアメリカ人がイスラエルは中東における西欧の飛び地だと思っている。テレビに出てくるユダヤ人は西欧系の人達ばかりだからね。
ところが彼の地の実体は5人に1人はアラブ人でロシア人も百万人くらいるところなのだ。みんなイスラエルというとヘブライ語を喋る人達ばかりと思いがちだが、実はヘブライ語と同じくらいアラブ語とロシア語が喋られているところなのだ。そうした状況が正しく認識されたら、それでもアメリカはイスラエルに肩入れしつづけるだろうか?