オシムの言葉

”フィールドの向こうに人生が見える”という副題がついている。でもユーゴ出身の名将の人生は日本語で口にした場合に醸し出される「浪花節だよ人生は」みたいなセンチメンタルなメンタリティからはほど遠いところにある。
なにせユーゴである。僕の貧弱な想像力からは、NATOのF16やトーネードが編隊組んで飛んでる場面からいきなり粒子の粗いモノクロの画面に切り替わって、その画面のど真ん中に切ってある十字線が地上を走る列車を捉えるシーン。あるいは骨董品のT34がすでに廃墟と化した建築物目がけて主砲をぶっ放すシーン。カラシニコフの乾いた発砲音が響く塹壕。世界のどこだかわからない国旗を振り回す世界のどこにでもいそうなスキンヘッド族。そうした画面に被さって浮かんでくる「ユーゴ、揺れる民族紛争 全4回」というテロップ。ETV特集NHK-BSあたりで放送しそうなイメージしか浮かんでこない場所だ。
だがオシムはそうした民族問題からは無縁なところにいる人だ。ドイツ人の父、ポーランド人の母を持ち、オーストリア・ハンガリー帝国の名残が香るサラエボで生まれ育ったオシムは、ユーゴのどんなエスニックグループにも属していない。強いて言えばサラエボっ子、ユーゴスラビア人である。オシム自身はコスモポリタンを自認している。
しかしオシムがユーゴ代表監督を務めていた1990年代初頭から始まったユーゴ紛争により、ユーゴスラビアエスニックグループが支配する小国家へと分割され、オシムのようなコスモポリタンの居場所はなくなってしまった。このエントリはジャストシステムのATOK17を使って書いている。ATOKは賢いIMEだ。賢すぎて「ユーゴ」と打つたびに「地名変更->セルビア・モンテネグロ」というお節介な警告を出してくれる。こうしてユーゴは過去の遺物となり、オシムの生まれ故郷サラエボセルビア人勢力、事実上はユーゴ連邦軍の包囲下に置かれた。オシムはユーゴ代表監督を辞任。国外脱出を余儀なくされた。包囲下に置かれたサラエボに妻と娘を残してである。オシムの妻子にサラエボ脱出の機会が回ってくるまで2年半の月日が流れ。その間に、サラエボ、あるいは旧ユーゴの領域では大勢の人が亡くなり、今も紛争の火種は残る。
難民、あるいはディアスポラという言葉を安直に使うのは僕も好まない。でもオシムは明らかにディアスポラ、故郷喪失者である。2二十一世紀の日本にオシムという名将がいるのは日本のサッカーシーンにとっては大いなる幸運だろう。しかし今オシムがユーゴでなく日本でクラブチームの指揮を執り、年末にサラエボではなくオーストリアに帰るのは二十世紀の悲劇の帰結である。
本書は「ユーゴの鬼」としか言いようがないジャーナリスト、木村元彦氏の力作であるが、今回のオシムの伝記は木村氏にとってもやりにくいところがあったようだ。なにせ木村氏はユーゴスラビア代表を扱った自著に「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)」とつけてしまうほどに、世界中から悪者のレッテル貼られたセルビア人に入れ込んでいる。でも今度ばかりはセルビア人を本当に悪者にせざるを得ないのだ。オシムをユーゴにいられなくした最後の一撃はまさにセルビア人によるサラエボ包囲だったからだ。そのやりにくさ、やりきれなさがピクシーのインタビューの間に挟まれた「本当に私はこの男からいつか嫌われるだろうな」という一行から嗅ぎ取れるように僕には思える。