復興計画



一日一積ん読撃破って絶対買うペースに追いつかないのだorz。
この本、日本の都市における復興、特に第二次大戦の被災から復興計画を扱った本なのだが、隠れたテーマは無念である。
まず著者の無念がある。銀座の街並み、川越の蔵町、山中温泉の情景、仙台のケヤキ並木や広島や名古屋の100メートル道路はみな復興計画の賜なのだが、そうした経緯があったということ自体忘れ去られている。現代の都市住民は自分達が拠って立つ場所の由来や歴史、さらには復興に携わった先人の苦労を忘れ去っている。これが著者の嘆きである。
これに復興に携わった先人の無念が加わる。
日本の復興事業は挫折の歴史でもある。例えば東京。東京は二十世紀において関東大震災と太平洋戦争の二度にわたって破壊され、その度に復興計画が立てられたのだが、どちらの計画も未完に終わった。表向きの理由は財源の不足だが、結局は「東京には幅の広い道路はいらない」という都市計画に対する無理解につきる。
ちょっと脱線するが、最近都内ではマンション、それも勝ち組様がお住まいになるような豪華なマンションがぽこぽこ立っている。ところがそうしたマンション周辺の道路事情はあまりにも貧弱で、狭い二車線、下手すると一方通行の一車線というのはざらである。幹線道路も貧弱で本当に都内でこれ以上人口や経済活動を増やしていいのか思うくらいの状況なのだが、これも戦後の復興計画が未完に終わったせいである。
この本はそうした未完に終わった事業、あるべき筈の道路、あるべき筈の公園、さらにはそうした事業を完成させるための取られるべきであった政策の事例で満ちている。これもまた無念である。
この本、後書きには紙幅の都合で記載を割愛した事例が、人名、地名、事業名などを連ねて1頁に渡りびっしり書き込まれていて、このくだりは「などなど、さまざまな物語、エピソード、書くべき事柄が存在する。しかし、これらについては記載を割愛せざるをえなかった」と結ばれている。やはりこれも無念の表明である。
ことによると本も都市も実は同じもので、「ああしておけばよかった」というあるべき姿に対する無念の表明なのかもしれない。