ΣBookは本の墓標なのか?

ΣBookの公式サイトを発見.
http://www.sigmabook.jp/

ΣBook Simulationというのがあるので遊んでみる.
疑問に思っていた点が幾つか解消.
SDカード内に複数のコンテンツがある場合.どうやって選ぶのかとか,実は目次はあった(ページ移動の機能を使えば実現できるのだろう.体験版では最初のページと最後のページしか選べないけど)とか.でも結論は変わらない.
以前ΣBookは文学至上主義と大げさなことを書いたが,これは裏を返せば本が有用な情報の集合体であることを否定しているのである.
それが証拠に「有用な情報の集合体」でしかない本,例えば辞書をΣBookに放り込めばものの見事に役立たずになるはずだ.ΣBookにはページにランダムにアクセスする機能はないのだから.ページ移動のところにAで始まりZで終わる目次を用意するのがせいぜいだろう.
別にΣBookいじめをしたいわけではない.ただ次世代の本であるはずのΣBookが本が「有用な情報の集合体」であることを否定しているところに,本についての少し陰惨な未来図が読み取れるのだ.

たぶん本は,何回も繰り返し言われているようにすでに「死んだ」のだろう.近い将来,「有用な情報の集合体」としての本はNetに吸い上げられてしまい,本としての形態を保てなくなるはずだ.少し強引だがデジカメ携帯万引きみたいな現象はそういう未来の予兆であるように思われる.「有用な情報の集合体」としての本は,有用な情報というものは共有され検索され加工される必要性があるゆえに本でありつづけることはできない.本はもはや情報の器としてはNetとComputerの時代においては不都合がありすぎる.
にもかかわらず本は残るだろう.そのような本は「有用な情報の集合体」でないゆえに本でありつづけるのだ.文学者というか,NetとComputerが大嫌いな馬鹿文学者にとってはそういう状況は歓迎すべきところだろう.「文学を有用性という価値で評価するのは笑止」などというのは,この手の馬鹿文学者が言いそうなセリフだ.こうして本の世界というのは文学にとって理想郷となるのだろう.ただしきついとどめの一撃を放っておくと,OCRされてnyされるような価値すらない本だけが本でありつづけるのだ.
本を待ち受けているのはそういう未来である.