機動戦士Zガンダム III -星の鼓動は愛


立川シネマシティの300人入る映写室に客が30人も入らない。封切り2日目の客の入りとしては寂しすぎる。午後9時からのレイトショーという事情を差し引いてもだ。こうして先週のシムソンズに続いてまたもやがら空きの映画館で映画をみることになってしまった。しかもシムソンズの時は違い、劇場の寂しい有様に妙に納得してしまった。
もうアニメで真面目に戦争をやる時代じゃないのだ。地球の反対側にはカミーユ達と同じくらいの歳の子供が自爆テロをやったり、少年兵として戦っていたりする現実がある。80万もの人を殺すのにコロニーを落とす必要はない、中国製のナタがあればいいという現実もある。
そんな時代にはモビルスーツや宇宙戦艦を動員しての総力戦という発想自体が現実から遊離している。現実の戦争が中古のカラシニコフや手製爆弾で行われているのに、アニメの中とはいえエースパイロットがフルチューンされたモビルスーツを駆るのは贅沢すぎる。前世紀の遺物、第二次大戦の尻尾としかいいようがない。
だから二十一世紀のアニメでモビルスーツが出てくるような戦争をやるには現実とは遊離した空間の中でやるしかないのだ。そこは現実の血生臭いチープな戦争とは厳重に隔離された空間で、そして現実とその場所を隔ているのは萌えなのである。
そう、もはや宇宙戦艦もモビルスーツもキャラ萌えという口実がなければ存在が許されない時代なのだ。だから誰が何といおうとガンダムは種の時代である。富野さんの時代ではないのだ。