彰義隊
- 作者: 吉村昭
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2005/11
- メディア: 単行本
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「彰義隊」というタイトルだが、主人公は彰義隊討伐の戦場となった上野寛永寺の山主で、後に奥羽列藩同盟の盟主に擬せられた皇族、輪王寺宮公現。戊辰戦争の当時は二十二歳。明治天皇の叔父で、寛永寺は代々の輪王寺宮を山主として迎えており、この輪王寺宮も十八歳で上野寛永寺の山主となった。平穏な時代であればそのまま僧侶として生涯を終えたであろうが、時は幕末、変革の時代である。しかも時代の方から寛永寺に押し入って来た。鳥羽伏見の戦いで敗れた将軍、徳川慶喜が恭順謹慎の場所を寛永寺に求めたのである。やがて将軍警護の名目で結成された彰義隊が寛永寺に駐屯し、輪王寺宮と寛永寺は否応なしに幕末維新の動乱に巻き込まれていく。
後書きによると吉村昭は長年躊躇した末、輪王寺宮に視点を置くという着想を得て、ようやく彰義隊について筆を執れるようになったそうだ。しかし輪王寺宮は視点としてはともかく、近代小説の主人公としての資質に少し欠けるところがある。輪王寺宮は宮様、早い話がお飾りだ。だからこの人は自分で決断し行動するということが少ない。身の振り方は概ね側近が決める。普段は奥の院に座し、外に出る時も御輿を使う。小説の中では一応主人公であるから輪王寺宮にも近代人としての主体は与えられているけど、これでは近代人とは言えない。この人が自分の足で歩き、外の空気を直接吸ったのは、上野戦争の後、寛永寺から落ち延び、榎本武揚の艦隊に身を投じるまでの僅かな期間だけだろう。その前も後も、輪王寺宮は皇族として下にも置かぬ扱いを受けるが、彼個人は全くの無力であり、皇孫の身でありながら朝敵の汚名を着せられ、官軍によって追い込まれていくという状況に歯噛みするしかない。
皮肉な事に輪王寺宮をそうした桎梏から解放したのは徳川幕府の崩壊と戊辰戦争の敗戦であった。明治維新後ドイツに軍事留学した輪王寺宮は、日清戦争中、かつての朝敵の汚名を晴らすべく自ら軍務を志願、戦争末期になって近衛師団長に任じられたが、すでに戦争はほぼ終結していた。しかし戦後、彼が率いる近衛師団に台湾への出動命令が下る。日清の講和条約で日本に割譲された台湾でこれを不満とする反乱が起きたのだ。輪王寺宮は勇んで出陣した。ついに自身の行動によって朝敵の汚名を晴らす機会がやって来たのである。しかし台湾に上陸後、輪王寺宮は当地で流行していたマラリアに倒れ、死去した。享年四十九歳。さらに皮肉な事を言えば輪王寺宮は近代人に生まれ変わった瞬間に死んだと言える。
と、かなり暗めのことを書いたが、これはあくまで吉村昭が描いた輪王寺宮である。同じく彰義隊を扱った森まゆみの歴史エッセイ、「彰義隊遺聞」でも輪王寺宮には一章を割いているが、逃亡中の宮を助けたある江戸っ子の、宵越しの銭を持たないという典型のような半生記が挿入されたり、輪王寺宮自身についても維新後、上野戦争を題材にした芝居をお忍びで観劇したという愉しいエピソードが紹介されている。こちらの輪王寺宮は吉村昭のものと比べると大分明るい。しかし吉村昭はそうした彩りのある題材を一切排して、小説の基調をモノトーンで貫いている。