今日の内田先生

典型的なのはキリストの受難だ。
キリストに死刑を宣告したのはローマ総督ピラトである。
キリストを磔刑に処したのはローマ兵である。
このことは四つの福音書すべてが証言している。
しかし、今日、イタリア人に向かって「イエスを殺したのはあなたたちの祖先なんですよね」というひとは誰もいない。
世界中の人が熟知している歴史的事実なのに。
それは「イタリア人がイエスを殺したこと」を「とりあえず忘れておくこと」の方が、「そのことを折に触れて持ち出す」ことよりも利益が大きいという政治的判断を世界のマジョリティが共有しているからである。
イタリアのカトリック信者にとってもバチカンにとっても、それは「決して触れて欲しくない忌まわしい過去」である。
だから、人々はイタリアのキリスト教徒を気づかって、「そのこと」は知っているけど、知らないふりをしているのである。
人間というのは「そういうこと」ができる生き物である

ユダヤ人が殺したということになっているのはなぜ?

靖国についていえばレーガン大統領のビットブルク訪問問題というのもある。
なぜこちらは問題になるのか?

レーガンは、西ドイツへの公式訪問で1985年に広く非難された。4月11日にホワイトハウスは、レーガンが両方の世界大戦で死んだドイツの兵士に敬意を表して献花するためにビットブルクの軍事墓地を訪れると発表した。その墓地に武装親衛隊員が埋葬されていることが論争の的になった。様々な地域からの抗議にもかかわらず、それが元敵との間の和解を促進するという理由で、レーガンは訪問を続けた。