ココログ

自分の読みの誤りは明確に記しておかないといけないだろうな
以前ココログについては少し揶揄的というか悲観的な文章を書いたことがある.


私はじじいなのでniftyがInternetに繋がった日のことを覚えていたりする.まあさすがにあんな混乱した状況にはならないだろうけど.trackbackが飛び回るくらいのことはあるかもしれないが.
こちらは当たったようだ.しかし

blogを続けられるような根性のある人間はすでにどっかにblogをもっているだろうから死亡率はかなり高いんじゃないかな
という件の強調部分は少し外れた.むしろNiftyココログが始まったという理由でNiftyに舞い戻った人間が大勢いる.
ただココログのパワー=Niftyのコミュニティのパワー=さすがNif者かというと少し異論がある.例えば舞い戻った連中なんてのはココログをツールとしか思っていないわけだし,それに前のNiftyがinternetに繋がった日という揶揄的な表現に込めた意味は,要はNifの連中はネット的に世間知らずだということだったりする.
これは僕,あるいは僕と同時期にNifを離れた人間なら同じように思っているんじゃないかと思うけど,あそこに残っている人間というのは,いろいろ考えたが,ちと古い言葉だけどCoolじゃないということに尽きる.
要はそういう田舎者が突然広い世界に繋がったという第2の開国パワーがココログのパワーじゃないかと毒を吐いてみたりする.
まあこの読みが正しいかどうかは3ヶ月あるいは半年は見ないといけないだろうし,そのときここか別の場所(Powered by sakuraだといいなあ)でまた「自分の読みの誤りは明確に記しておかないと...」と書く羽目になるかもしれないけど.

追記
Niftyココログが始まったという理由でNiftyに舞い戻った人間が大勢いる.」というのもIT 業界の人がblogを始めた理由の傍証になるかもしれない.彼らはblogレベルのことが手っ取り早くやりたかったんだけど,それができる状況になかった人たちなわけで

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