自宅の庭に勝手に生えた植物に特許料を支払いますか?

http://www.goodpic.com/mt/archives/000228.html
たとえ話というのは好きではない.文脈と目的を明確にしないととんでもないことになる.


自宅の庭に勝手に生えた植物に特許料を支払いますか?

これもオープンソースに入れ替えたらどうなるだろう?


自分のオープンソースプロジェクトに勝手にマージされたコードライセンス料を支払いますか?

SCOとLinuxの紛争がまさにこれで,SCOの主張が無茶苦茶なのでLinuxマンセーに見えるが,結局自分の庭は隅々まで自分で管理するしかなく,雑草だろうがなんだろうが,生えてきたものはきっちりチェックするしかない.残念ながら人間の手の届く範囲のものは全て人工物で勝手に生えた雑草というのは存在しない.
類似のもっとましな事例については以前米JBoss、顧客を訴訟から保護へ-- Geronimoとの法的問題の行方は?ApacheGeronimo ProjectがJBossのコードを侵害している,とJBossがクレームをつけてきた件で紹介している.
この件ではApache側はCVSのヒストリや,Geronimoに流用したApacheの他のProjectのソースコードを調べ上げたりして,クレームに対処している.
ものによってはJBossの方がぱくっているやんけなんてことも判明したりする.また除草剤ならぬ問題となっているソースコードの削除なんてことも検討しているわけで,庭を管理するというのはまさにこういう事だろう
僕は,自分の庭を管理しきれなかったという理由でこの庭の主人の負けだと思う.

追記

類似の問題はCreative Commonsがらみでもありますね.

たとえばウェブログでは、トラックバックやコメントなど、自分自身の創作ではない要素があります。にもかかわらず、そこでCCを宣言した場合、混乱は生じないのでしょうか」という問題。

追記

JBossApacheの紛争は関係者以外にはあまり注目されないのだが,どちらもOpenSourceのProjectだというところが面白い.JBossLGPLApacheは当然Apache Licence.
この事件は,仮にソフトウェアに特許が適用されなくなったとしても,それで僕達が自動的に,自由にコードを書けるようになるわけではないことを示唆している.これはコードの所有権をめぐる争いで,僕に言わせればソフトウェア特許が絡んでくるような件はコードの所有権を巡る問題の一変形に過ぎない.
恐らく僕たちが自由にコードを書けるようになるには,ソフトウェアに特許が適用されないというだけでは不十分で,ソフトウェアのライセンスが相互運用に破綻が起こらないような一群のライセンスに絞り込まれないといけないのだろう.最終的には単一のライセンスになることが望ましい.
確かにRMSFSFの戦略は正しいし,彼らがOSDの活動に苛立ちを見せる理由も分かるような気がする.OSDは相互運用に破綻を起こすようなライセンスをポコポコ公認しちゃっているもんね.でも僕はGPLはあまり好きじゃない.
それにFSFはというかRMSは「ソフトを所有するという慣行は物質的にも無駄が多く、精神面でも社会的に有害で邪悪なものだと断言したい*1と言っているのに,彼らの,ソフトの所有を禁止させるための手段であるGPLは,著作権*2,すなわちソースコードの所有権に依拠しているのはどうなんだろう?確かにソフトを所有するのは有害で邪悪なのかもしれない.ではコードを所有することはどうなんだろう?有害で邪悪ではないのだろうか?

[parmalink][contents][page top]

*1:リチャード・M・ストールマン スウェーデン王立工科大学講演 1987

*2:GPLやその他のコピーレフトなライセンスは、著作権に基づくライセンスであることに注意して下さい」from GPLLGPLGFDL に対する違反行為