サンカと三角寛―消えた漂泊民をめぐる謎 


サンカと三角寛―消えた漂泊民をめぐる謎 [著]礫川全次
http://book.asahi.com/shinsho/TKY200512120136.html


リンク先は青木るえか氏による書評。
この本について書くのをすっかり忘れていた。
青木るえか氏も指摘するように、この本は「サンカ」についての本ではなく、「サンカについて書いた人について書いた本」である。
つまりこういうことだ。
あるコミュニティが存在する。そのコミュニティは外部に対して閉鎖的であり、コミュニティから信頼されたある人物がスポークスマンを勤めている。その人物の著作を通してしかこのコミュニティについて知る事はできない。その人物が事実上情報発信の権利を独占している。
そのためいろいろと疑念が出てくる。その特定人物が発表している内容はどこまで信用できるのか。特定人物の主観あるいは恣意によって、コミュニティの姿は歪められているのではないか。実は創作が混じっているのではないか。いやそれ以前にその謎のコミュニティは本当に実在するのか。全てはその特定人物による創作と捏造ではないのか。
似たような事例はいくらでもある。例えばあの旧石器捏造事件。教科書にも載った、日本の旧石器時代というコミュニティは、神の手と呼ばれた、ただ1人の人間によって捏造されたものだった。
それにコミュニティが外部に対して開放的であっても同じようなことはあり得る。コミュニティの誰か特定の人物の発言がクローズアップされすぎれば、やはり同じことが起きる。コミュニティ内の有名人が勝手に喋ったことが、外部の人間にとってコミュニティの実像あるいは総意と受けとられるかもしれない。それどころかコミュニティ内部の人間すら、俺たちはそういうものだと思いこんでしまうかもしれない。これが一番怖い。
コミュニティだけじゃなくコンセプトだって似たようなものだ。今時コンセプトとコミュニティは切っても切り離せないものだ。だからソーシャル何々。何々2.0。ロハス。みんな怪しい。そんな怪しいものに自ら洗脳されることをカコイイと思って吹聴する奴が一番怪しい。残念なことにそんな奴はあちこちにゴロゴロいる。
全ての名付けられたものは、疑ってかかるべきなのだ。