マネーボール

マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男

マネーボール マイケル・ルイス著,中山 宥訳
ランダムハウス講談社

金満球団の天下と化したメジャーリーグ、において”異質な例外”と呼ばれた球団がある。オークランド・アスレチックス。年俸総額で遙かに勝る球団を差し置いて4年連続プレーオフ進出を果しているが、その秘密は何か?本書はそのアスレチックスの舞台裏を最高のゼネラル・マネージャーと呼ばれる男、ビリー・ビーンを中心に描く。すでにあちこちのBlogで話題の本。確かに滅茶苦茶面白い。
その異質な例外アスレチックスの秘密だが、実は秘密でも異質でもなく、選手のデータを統計学的に解析して、勝利するための原則を導き出しただけである。試合に勝利するには得点が必要であり、得点するには塁にランナーが出塁する必要がある。よって勝利する球団を作る上で最も重要なファクターは平均打率でも長打率でもなく出塁率である。他にもいろいろあるが基本的にはこれだけである。おもしろいのはこういった原則を最初に発見したのは野球を商売とする人たちではなく、在野のファンであるということだ。
野球を統計学的に分析する分野を、セイバーメトリックスと呼ぶのだが、この分野の始祖、ビル・ジェイムズは職業野球は縁のない人間である。セイバーメトリックスの分野が開拓されるにつれ、素人ではなく統計学を専門とする学者、さらには企業まで参入するようになったが、全く関心を寄せない人々もいた。現役のプロ野球チーム関係者である。ビル・ジェイムズが最初の著書「野球抄1977」を自費出版で公刊してから、アスレチックスのGMビリー・ビーンによって実地にメジャーリーグ球団の運営に応用されるようになるまで20年以上の年月が必要であった。
データ重視野球というと日本だとID野球などを連想するが、ビリー・ビーンのやり方は根本から違う。まず自分の戦略を遂行するのに適した選手を集め、集めた選手に勝利のための戦略を徹底的に遂行させるのだ。したがって彼のチームに監督はいない。ベンチに立っている人がいるだけだ。その立ち方すら指導されている。また戦略といっても緻密な頭脳プレーではなく、「初球には手を出すな」といった単純な原理原則をひたすら遂行するだけである。
ビーリービーンの選手の集め方は株のポートフォリオの運用の仕方に似ている。データを駆使して能力の割に年俸の低い選手、つまり割安な選手を見つけ出してアスレチックスに組み込む。そして割高になった選手を売り払うのである。金満球団は人気銘柄、能力の割に年俸の高い選手を揃えるのでパフォーマンスではアスレチックスに劣る。第7章のジオンビーの穴に出てくるエピソードはまさにポートフォリオ的で、メジャーリーグ1の出塁率を誇るジェイソン・ジオンビーをヤンキースに引き抜かれたビリー・ビーンジオンビーの代わりの選手を1人雇う代わりに、ジオンビーの能力を分解して、個々の穴を埋められそうな選手を3人傭う。そのほうが安上がりだからだ。ちなみにビーリービーンが目をつける選手は見た目は野球選手の理想像とはほど遠い選手が多い。特に新人において顕著である。その方が他球団との獲得競争において有利だからである。トレードで獲得する選手も何かの傷、欠点がある選手が多い。その方がお買い得だからだ。
確かに面白い本で、ビーリ・ビーンが頑迷な野球観を科学の力で打ち砕き、他球団をきりきり舞いさせるのは読んでいて痛快ではある。人様のBlogの書評など読むと手放しで賞賛するものばかりだ。とはいえネガティブ・シンキングな僕としては、こんな痛快な物語にすら影を見てしまうのであった。まあ人様と同じ物を書いても面白くないしね。
アスレチックスの選手は盗塁を許されていない。成功率が低いからだ。バントもサインプレーもなにもかもだめ。打席に立ったバッターは球数を稼ぎ、失投が来るか四球が来るかを待つことになる。状況を自分で判断して行動するとなどという冒険的な行為は推奨されていない。もっとも成功の確率の高いプレーをひたすら繰り返すだけである。
アスレチックスで冒険をしているのはただ一人ビーリービーンだけである。伝統的な野球観に全て逆らいことを進めて行く姿は英雄的ですらある。しかしビーリービーン個人に目を向けてみると彼自身はチャレンジャーとは言い難い。
ビーリービーンはかつて将来を嘱望されたルーキーだった。どんなスカウトが見ても将来のスーパースターと思わせる選手で、彼自身は当初大学入学を望んでいたがメッツのスカウトに口説き落とされ、高校卒業と同時にメッツに入団した。彼は後にこの決断を「金に惑わされた」と後悔することになる。統計によると高校生選手がメジャーリーグ入りする確率は大卒よりも低く、彼も統計の外に出ることはできなかった。ビーリービーンは野球選手としては芽が出ずに終わった。
彼はいまだにこの時の打撃から立ち直っていない。レッドソックスから高額の年俸で誘われたが、それこそ土壇場になって契約書にサインしなかった。金のために人生をしくじるのが怖かったのである。ビーリービーンは優れたマネジメント能力を持つ男だが、自分自身のマネジメント能力には欠ける。自分の感情をコントロール出来ず、激すると手当たり次第に物を壊す。挫折から立ち直ることの出来ない性格で野球選手として大成することが出来なかったのもそのせいである。妻にも逃げられた。
これはどういうことであろうか。リスク・チャレンジが大好きなアメリカの国技で快進撃を続ける球団の戦略がコンピューターがはじき出した安全牌な代物で、その球団を率いるGMが彼個人については冒険心に欠け、セルフコントロールも出来ない人間であるということは。
もはやリスクというものは個人としての人間の手に負える代物ではないということだろうか?


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