文房具の本

信頼文具舗の店主,和田哲哉さんが早川書房から本を出すことになった.
和田さんは元々は一文房具ファンで,ステーショナリープログラムというホームページを通じて,優れた文房具を紹介していた方である.その文房具への想いが高じて開かれたのが,信頼文具舗である.
信頼文具舗は,主に輸入文具を中心としたオンラインショップで,機能,デザインともに優れた選りすぐりの文房具を揃えている.伊東屋丸善といった高級輸入文具に強い文具店でも手に入らない商品も多い.エグザコンタの美しいクリアファイル,ディスプレイブックを僕はここで手に入れた.
7月下旬発売に発行予定の本のタイトルは「文房具を楽しく使う(ノート・手帳篇)」.文房具ビギナー向けの文具の使いこなしについての本らしい.とはいえ優れた目利きである和田さんのことであるから,僕がいつも使っているMoleskineRhodiaの思いがけない秘密を教えてもらえるかもしれない.今から楽しみである.


文房具の本は意外と少ない.はっきり言えば現時点で日本には1冊しかない.片岡義男の「文房具を買いにである」

文房具を買いに

もちろん文房具について書かれた本は他にもある.しかしそれらの本は実は文房具については語っていない.たいていの場合,「万年筆」とか「手帳」とか「ノート」といった抽象的な存在について語られている.あるいはエッセイに多いのだが,個人的な思い出と結びついた「あの」文房具について語る.モンブランの万年筆ではなく,「いつも愛用している」または「かつて父が使っていた」,あるいは「某文学賞の賞金で買った」,あのモンブランの万年筆である.
片岡義男はそのどちらでもない.彼はMoleskineRhodia,あるいは日本のトンボの色鉛筆それ自体について語る.冒頭のMoleskineのノートについては書かれた部分を引用してみる.


表紙で測って横幅で九十三ミリ,そして縦の幅は百四十二ミリだ.本体と表紙とのあいだに,サイズの差がほとんどない様子が,全体の雰囲気を引き締めている.手帳としてこの縦横プロポーションを超えるものはあり得ないと,僕は思っている.さほど凝ってはいないけれど,必要にして十分な作りは手の中によくなじむ.モグラの皮によく似ているところからモールスキンと呼ばれた服地があり,モールスキン手帳の表紙はこの服地が使われていた.モールスキンという通称はそこに由来していうという.現在のモールスキン手帳の表紙はこの皮を模した紙だが,感触は悪くないし視覚的にも好ましい.表紙を含めて全体が角丸で,糸を織った紐の栞がついている.裏表紙ポケットまで用意されている.

「文房具を買いに」2ページ

谷川俊太郎の「定義」(ISBN:4783700796)に匹敵する精密な描写である.
片岡義男がこうも精密な描写をするのは,文房具のフィジカルな形状が文房具の使い方を明確に規定するということを知っているからだ.
これはRhodia,7種類のサイズのラインナップからなるメモパッドについて書かれたものだ.


11と12のサイズには,簡単に言うと,ひとまわりの差しかない.サイズにおけるこのひとまわりの差は,そこに書かれる内容における,どのような違いを想定したものか.13,14も,おなじくひとまわりしか違わない.13を使わず14にすることによって,書かれる内容にどんな違いが生じるのか.
「文房具を買いに」66ページ


こちらはClairefontaineのノートについて書かれた文章である.


四冊のノートブックの中に,サイズの微妙な差によって作り出されている,2冊ずつの別世界.用途によって使い分けるだけでしょう,という凡庸な意見があるのなら,僕はそれを以下のように訂正したい.用途の違いとは,そこに書き込まれる内容の違いなのだ.そして内容の違いとは,それに託された思考がや論理のそれぞれにその時に到達している段階の相違に他ならない.小さなノートブックには断片を無差別に記入するなら,一番大きなノートブックのページには,断片からくみ上げられた世界が,その中をつらぬく思考や論理を整えられた上で,ひとつにつながった全体として,書き込まれていく
「文房具を買いに」71ページ

ノートやメモパッドの大きさがノートに書かれる内容に影響を与える,あるいは規定するというのはいささか奇異に見える考え方かもしれない.しかしノートやメモパッドの大きさというのは,ノートのスペックである.これをBlogツールに置き換えれば,Blogツールのスペックが,Blogのエントリに書かれる内容に大きな影響を与えるというのは,複数ツールを併用した経験があるBloggerなら,納得するところであろう.
またノートやメモパッドの大きさは,ノートやメモパッドという紙の世界を囲む枠組みでもある.枠組みが中身を規定するという考えは.片岡義男の別の著作,「日本語の外へ」(ISBN:4041371945)を思い出させる.このエッセイ集の中で片岡義男は,枠組み,例えばテレビの報道番組のフォーマットなどがその中身に盛り込まれるものを規定する実例をいくつも上げた.そしてアメリカや日本といった国家,あるいは英語や日本語といった言語という,我々の身体や思考を取り巻く枠組みについて語った.
なぜか予定稿から大幅に外れてしまい,適当な結語を思いつかないので,とりあえずここで終わる.やっぱアドリブで書く人間なのかね,僕は.


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