子供だまし

おもしろ古典教室 (ちくまプリマー新書)

おもしろ古典教室 (ちくまプリマー新書)

古典という過去との関わり方を現代に生きる著者の経験に即して語る本。著者曰く、青春小説だそうな。しかし自分で考えるのが大事と主張する割にはどこからか拾ってきたような一般論も混じっているのが残念。こんなのもそうだ。

子供が子供を殺すという不幸な事件がありましたが、それは、死というものがあまりにも、子供から遠い存在になりすぎていることと関係があるのではないでしょうか。病院で死に、斎場で葬式が行われる今、子供達は死というものを実感せずに育っていくのです

おもしろ古典教室 (ちくまプリマー新書) 59ページ

昔の子供に比べると、今の子供は何かが欠けている。だから不幸な事件を起こす。よく耳にする言説で、ある種のノスタルジックな人達には快く響く。そしてこの「何か」のところに自分が愛するノスタルジックなものを入れたがる。死の実感、自然とのふれ合い、戸外での遊び、喧嘩、肥後守、規律、道徳、教練あるいは教育勅語などなど。
しかしこの種の言説には自滅的な問題点がある。子供のところを大人に書き換えて論旨を逆転させると、この種の言説に内在する問題点が明らかになる。

大人が大人を殺すという不幸な事件がありました。彼らは死というものを身近に見ながら育った世代です。昔は病院ではなく自宅で死を看取り、斎場ではなく町内で葬式が行われた。昔の子供は近いところで死を実感する機会が多かった。それなのに昔の子供が大きくなった今の大人は人を殺すのです

今の子供に何かが欠けているから人を殺すのだと主張するなら、その何かを持っているはずの今の大人が人を殺すのは何故かという問いも立てられねばならない。そしてこちらの問いの方がより深刻なはずである。その何かは子供の殺人を抑止してはくれるが、大人の殺人は抑止してはくれないのだ。
子供には効き目があるが、大人には効き目はないもの。そういうものを子供だましと呼ぶ。