編集部のいらない新聞

昨日の続き。
編集部のいらない新聞というものを考えてみた。そもそも市民一人一人が記者となりうる時代にその上に立つ編集部なる特権階級があるのが問題なのだ。
記事を書くのが市民ならば、ポータルであるネット新聞のサイトにどの記事を載せるかというのも市民が決めるべきだ。
構成は表サイトと裏サイトからなる。まず市民記者が裏サイトに自分の記事を投稿する。そして投稿された記事を市民記者達が採点する。そして一定以上のスコアが得られた記事を表サイトに掲載するのだ。
システムを単純にするには投票製にするのがよいだろう。民主的だし。
基本的に一人一票というのがよいかな。またコメントも付けられるとよいかもしれない。また票数はスコアリングとしても役に立つ。多くの人間が票を投じた記事はそれだけ価値が高いはずだ。だから表サイトに出たニュースのヘッドラインには得票数の数字が添えられるのである。得票数3票…。
ん?ひょっとしてこれは、はてなブックマークに近くないか?
実ははてなブックマーク編集部のいらない新聞なのではないか?
最近の人気エントリーは一面、注目のエントリーを社会面を見立てることはできる。他にもカテゴリごとに読書面やスポーツ面がある。アニメ面なんてのもあるのはご愛敬だが。
いってみればBlog界の新聞、はてな新聞としても機能しているんじゃないだろうか?はてなブックマークは。
ちょっと怖い考えになってきたかも。
実は市民ジャーナリズムなんてものはいらないのではないだろうか?
それに市民記者やPJなんて面妖なものもいらないんじゃないだろうか?
十分な数の書き手と、適当な数のWatcher、そしてはてなブックマークのようなシステムがあればネットジャーナリズムは成立するんじゃないだろうか?
ホリエモンライブドアPJで犯した過ちは、人々の神経を逆撫で、じゃないや、固定観念を打破する言動や行動でのしあがって来た彼らしくもないことに、新聞という者はライブドアPJのようなネット新聞でもやはり編集部と記者が必要だという固定観念に囚われてしまったことではないのか?
大体ホリエモン自身も江川昭子氏のインタビューでこう語っているじゃないか。

ライブドアは、「市民記者」を募集し、自らのサイトのニュースに自前の記事を載せ始めている。その規模を拡大し、既存メディアの情報も取り込みつつ、ニュースサイトを充実させていくつもりだという。そして、新聞を発行し、そこでアクセス数が多い記事を紙面に載せていく。人気のある記事は大きく扱い、そうでないものは載らない。その扱いは、もっぱらサイトの読者の人気ランキングにより、新聞社の価値判断は一切入れない。

「人気がなければ消えていく、人気が上がれば大きく扱われる。完全に市場原理。我々は、操作をせずに、読み手と書き手をマッチングさせるだけ」

こう語っているにもかかわらずライブドアのニュースサイトはアクセスランキングがある程度の平凡なものに留まっている。Yahooの真似っことまでは言わないけど。こういうラジカルなコンセプトを打ち出すならライブドアのニュースサイトもGoogleニュース並のラジカルなものであってしかるべきだ。
コンセプトがあっても自分達では形に出来ない。このあたりはやはりIT企業ではあってもギークの企業ではないという限界なのだろう。
となるとライブドアの次の買収目標は、日本有数のギーク梁山泊集団となりつつあるあの会社なのか?