役立たず

遠藤周作に「役立たず」という短編がある。
どういう話かというと、主人公は遠藤周作とおぼしき作家で病気で入院することになる。入院したのはいいが入ったのは一人部屋で特別待遇なのであろうがやはり寂しい。
そこで隣の大部屋の人達と仲良くしようと思うのだけと、大部屋の人達は皆庶民、昭和何十年代の庶民なのでみな手に職を持つ人で、大部屋という共同体に自分の技能を提供することで他人の役に立っているのである。そんなところに作家がやって来てもそれこそ役立たずである。
ところがある日、大部屋の患者さんの一人が作家の部屋のところへやって来る。その人は娘さんを幼くして亡くしたという身の上話を始め、作家に亡くなった娘の生涯には何か意味があったのだろうかと問いかける。作家はこの問に答える事が出来ない。
そして作家の部屋から引き上げて来た患者さんに対して、大部屋のリーダー格の薬剤師がこう言い放つのである。
「ほら、やっぱり役立たずだったでしょう」

なんでこんな話を持ち出すかというと昔から考えていることなのだけど、人間が生きていくことに対してリアルな形で貢献できないようなものは所詮は全て「役立たず」ではないかと思うのですよ。そしてこっちは最近になって考えるようになったことだけど「役立たず」なカテゴリに属するものはいずれは全部無料になってしまうんじゃないかと。
上の話で「役立たず」呼ばわりされている作家に代表されるような著作業的な商売は、著作権ウゼーとかその他もろもろの理由で無料になる方向に向かっている。

雑誌の世界にはR25のようなフリーペーパーが出てきて大いに注目を集めていますし、有料新聞の購読率やそもそもの有料契約率は明らかに低下傾向にあるようです。

作家的商売以外にもこういう話がある。

ある若い友人は、このことを考え抜いた挙げ句に、自らがかなりのギークでありながらも、ITとは関係のない、激しい変化の少ない手堅いリアル産業に職を得て安定した収入とゆっくりとしたキャリア形成の道を確保し、供給者として「Cheap Revolution」に巻き込まれていくのを避け、「Cheap Revolution」を消費者としてエンジョイすることにした(「Cheap Revolution」のいいとこ取りをすることにした)、と僕に言った。人それぞれ下す決断はまちまちだが、そう説明されると確かにグーの音も出ず、一つの見識だなぁと思ったのである。

さてITは「役立たず」だろうか?