実録・囚人のジレンマ

宝暦三年(一七五三)、御蔵島には八人の流人がおり、漁師で海に詳しい善吉の呼びかけに応じ、流人たちは島に火を放って島抜けをしようという計画を立てた。ところが島の娘と恋仲だった長右衛門が娘に別れを告げたために計画が発覚し、娘に密告されて七人は捕らえられて斬首、長右衛門だけは村の救世主として、一切の罪を許され、娘と夫婦になって島で暮らしたという。

江戸の流刑 (平凡社新書) 130ページ

だが万延元年の三宅島の伴作騒動では、密告した藤太郎という流人も後で一味として斬首されちゃったという事例もあるので、裏切って白状した方がいいとは限らないようだ。

ところで読んでいて、韓国の実尾島(シルミド)事件に出てくる特殊部隊員のことを思い出させるような記述に何度もぶつかった。というかあれも流刑みたいなものではある。いやあれは流刑以下だろう。江戸時代の流刑人の生活は生き地獄だったと「江戸の流刑 (平凡社新書)」には書かれているが、実尾島の特殊部隊員に比べれば、遙かに天国に近いところにいたのは間違いない。
地獄の下にはさらに地獄があるのか。

シルミド―「実尾島(シルミド)事件」の真実

シルミド―「実尾島(シルミド)事件」の真実