幕末気分

幕末気分 (講談社文庫)

幕末気分 (講談社文庫)

幕末を題材にした歴史エッセイ集。
冒頭に置かれた「幕末の遊兵隊」では慶応元年に始まった長州征伐に武具奉行方として従軍し、大阪に駐屯したある下級旗本の浪速での日々を、残された日記「在京在阪中日記」を元に再現している。「在京在阪中日記」は私的な日記ではなく在阪の同心から江戸の組頭に向けて送られた半ば公務の記録であるが中身がすごい。酒と女と食い倒れと芝居見物の記述で埋め尽くされているのだ。当時の公務は二時で終わりで後は夜が更けるまで料理屋、風呂屋、遊女屋、芝居小屋と遊び回っていた様子がこの日記に克明に記述されている。今でこそ関西人は全員が漫才師であるかのごとく語られることが多いが、この時代の江戸の人々は下々の庶民から上は数千石取りの旗本に至るまで遊びの達人が揃っていたようだ。
同時代の出来事を例に挙げれば、新撰組がその名を上げた池田屋事件は前年、文久四年の出来事である。勤王の志士や新撰組といった歴史に名を残す人々の苦闘をよそに、この時代のその他大勢のごく普通の侍達は完全に遊びほうけていたらしい。他の作家、史家であればこのような旗本の軟弱ぶりを批判するであろうが、著者はそんな無粋なことはしない。

深刻になると冗談で切り抜ける。必死になるなんてヤボな真似はしない。こうなると立派という他ないほど、江戸っ子の骨髄に染みこんで死んでも直らぬスタイルなのである。このノンシャランスと長州兵の一心不乱との間には大きなギャップがある。これはもう遊び半分と生まじめの差ではない。文明のプレート境界であったという他はなかろう。

「幕末気分」57ページ

しかし歴史の行く末は周知の通りで、彼ら旗本のお遊びの舞台は薩長の田舎侍によって蹂躙されてしまう。こうして明治というくそ真面目な時代がやってくるのであった。