兄 藤沢周平

兄 藤沢周平

兄 藤沢周平

図書館に行った時に見付けてしまった本。題名につられて呼んでしまった。著者は藤沢周平実弟である。

藤沢周平の半生が恵まれない境遇の中にあったことは伝記的事実として僕も知っていた。父の死と長兄の破産。教師を志すも肺病のため断念。最初の妻の死。業界紙記者としての下積み時代。これらのことは本人の自伝、「半生の記 (文春文庫)」や藤沢周平事典ともいうべき「ISBN:4166603590」にも記されている。
しかしこの本には藤沢周平本人や藤沢周平サイドの執筆者が記さなかったことが赤裸々に描かれている。
苦労続きの末、頑なになってしまった母、この母は藤沢周平と同居することになるが、藤沢周平の妻とは折り合いが悪かった。特に二度目の妻との姑との関係は絶望的でついに別居にいたる。そしてかなり後のことになるが藤沢周平の娘が病床の藤沢周平を見舞いに来た著者の妻を、藤沢の面前で罵倒するという事件が起きる。著者は藤沢は身内に恵まれなかったといいたげである。
そして皮肉な事に、この本自体が、著者自身もやはり恵まれない身内の一人であることを証明している。著者は藤沢周平を囲む席で、著名人相手に坂本龍馬の名は「りょうま」ではなく「りゅうま」と読むのだと議論を吹っかけたというエピソードを記している。その席に並んだ財界人、著名人のうち誰一人まともに答えられなかったと書く。そして小津安二郎の映画で坂本龍馬を「さかまとりゅうま」と発音していたと指摘し、自分は正しかったのであると書いている。また藤沢周平に対しても、山本周五郎ばりに勲章を忌み嫌っていたのに、いつのまにか勲章や功労賞をいくつも受け取るようになったのはおかしいではないかという疑問を抱いていたらしい。僕はこの著者に「又蔵の火 (文春文庫)」の主人公、又蔵を連想してしまった。又蔵は博打で身を持ち崩したあげく家の恥として成敗された男である。又蔵は殺された兄にも些細とはいえ一分の義はあったとして、傍目から見れば逆恨み、理不尽としか思えないような敵討ちを実行する。
率直に言ってこの本自体がある種の敵討ちに思える。著者は執筆の動機として、藤沢があまりにも美化されすぎているので実像を伝えたかったのだと書いているが、本当は偶像破壊と自分と藤沢との間を疎遠なものとした藤沢の後妻と娘への意趣返しであろう。藤沢の娘について幼少時は後妻に厳しい折檻を受けていたくせにいつの間にか結託して自分につらく当たるようになったなどと書いている。著者は死の床にあった藤沢を巡って後妻と醜い言い争いをしてやりきれない気分になったというようなことを書いているが、そういう著者をふくめて大いにやりきれない気分になった。
資料的価値は確かに高い。でも藤沢周平ファンは読まない方がいいです。