スイングバイ論争、出発点に戻る

野尻ボードのスイングバイ論争の火付け役となった狩野宏樹氏による反応リンク集と考察。

スイングバイの正しい説明を求む」
http://khdd.net/kanou/kangae/2005/Jan.html#24.3.1

Wikipedia に執筆してほしい人は Wikipedia の必要性を感じないというジレンマがある という指摘は鋭い。オープンソースの場合、まずもって自分が必要だから作るわけで。
すでに知っている事をわざわざ他人のために書き表すには、知りたいということとは別の欲求、広めたいという欲求が必要だ。広めたいという欲求を満たすにはWikipediaは不十分なメディアだ。特にエゴが欠ける。
僕はWikipedia、あるいはBlogにはミーム論に絡めた考察が必要ではないかと思う。
以下俗っぽい、かなりいい加減なミーム論になるが、ミームの存在意義は情報*1を広く伝播させることにある。そしてミームが恐ろしいのは、情報の正しさというのは伝播しやすさの一要件でしかないということだ。デマなんかの例を見ればわかるように情報は間違っていても広がるのだ。
ミーム論の立場から言えば、Wikipedia、あるいはBlogはミームが進化する場と捉える方ができる。生物が遺伝子の、そしてミームの運び屋でしかないのと同様、WikipediaやBlogはミームの運び屋でしかないのだ。WikipediaやBlogは伝播性の高いミームが盛り上がっている場にすぎないのである。こう割り切ればWikipediaやBlogを「正しさ」とか「良さ」といった情緒的な観念と切り離して見る事ができるのではないかと。
とはいえ「正しさ」や「良さ」を切り離した目は所詮機械の目でしかない。しかしgoogleblogmapその他諸々はまさに機械の目である。そして我々はそういう機械の目に頼り切っている。
Wikipedia論争の最中にこんな考察を書こうと思ったのだが力不足で失敗した。そのうちもう一回チャレンジしようとは思っているけど。

*1:正確に言えばミームそれ自身なのだが。ミーム論はこの辺が面倒くさい