日本が遅れていることにしたがる人々

経済学者 田中秀臣氏のBlog発見。経済論戦の読み方 (講談社現代新書)の著者。

Economics Lovers Live
http://reflation.bblog.jp/entry/112449/

ところで氏の1/5の(http://reflation.bblog.jp/entry/116798/)で野口旭氏のHotwiredの記事が引用されている。

同じところを引用してみる。


さらに特筆すべきは、そのリフレ派的な考え方は、その頃から徐々に「ネット世界」に浸透し、そこに一定の支持基盤を築き上げていったことある。ここでいうネット世界とは、ウエッブ上のさまざまな掲示板を舞台として、山形浩生氏、黒木玄氏、稲葉振一郎氏といったネット黎明期からネット・カリスマとして活躍していた人々、さらには有名無名のコテハン(ネット専門の仮想キャラクター)や「名無し」から構成される、いわば「万人に開かれた論争社会」である。リフレ論が、こうしたネット世界の住人たちの広範な支持を取りつけたことは、それがごく一部の専門家の内輪話にとどまることなく、身近な政策論題として「大衆化」していくうえで、相当に大きな意味を持ったように思われる。

こういうのを読むと渡辺聡・情報化社会の航海図の

英語圏でBlogが普及し始めた時に、「これは面白い」と感じた要素がある。現場の第一線からの声がリアルタイムで寄せられ、領域ごとに情報交換が為され、まさしくトレンド形成がオープンに行われているのだが、この感覚が日本語Blogを見ているとあまり感じられない。なぜ起きていないかは、市場規模差で10倍ほどと言われる差のために、膨大な情報量野中からクラスター化が起きるような状況に無いこと、元々の文化がオープンコミュニケーションに向いていないことが主だと考えている。

という一節は、あんたどこを見ているんだと言いたくなる。それともBlogにあらずんばNetにあらずという考え方なんだろうか。
#日本の場合、トレンドを形成する役割は掲示板や2chが果たしているのでBlogにはお鉢が回ってこないという説を唱えてみる。
あるいは渡辺聡氏も日本を遅れている事にしたがる人なのだろうか。「日本=遅れている」、「外国=進んでいる」ということにして、「外国の事情に詳しい私が遅れている日本の君たちを啓発してあげよう」というポジションを取りたがる、そういう人なのだろうか。

追記
田中秀臣氏のBlogを起点にいくつか調べてみたが、経済学方面では専門Blogコミュニティが成立してるんじゃないか。