手で書くという事

ワープロは便利です。考えをまとめる道具です。ですが、出来上がった字面は均一です。万年筆で書く字のように、気持ちの揺れや高ぶりは入り込めません。「公的」には均質でよいことなのかもしれませんが「私的」にはどうでしょう。気持ちを伝える表現手段を一つ失ったことを確認した正月でした。

万年筆現役派、ただし普通とは逆に「考えをまとめる道具」として万年筆を使っている人間として言わせてもらうと、「気持ちの揺れや高ぶり」は文章で表現すべきであって、字で表現するものではない。
そもそも日本人が手で書いた文字を人に見せるのを嫌がるのは、世の中に「書は人なり」みたいな手書きの文字に対する過剰な思い入れがあるからだ。
だからみんな、「こんな下手くそな文字が私だと思われるのは恥ずかしい」、「こんな下手くそな文字を見せるのは失礼にあたるのではないか」などと萎縮する方向に向かうのである。文字に心のような重いものを載せるのは書道家のようなアーチストに任せておけばいいのである。
そんなことを気にするよりも書くものの中身に気を遣うのがよい。いくら手で書いたところで書いた中身が「賀正」とか「謹賀新年」とか「今年もよろしく」のような均一なものなら結局は同じ事ではないか。むしろこういう決まり文句主義の方を打破すべきであろう。
ついでに言うと「文は人なり」も嘘である。小説家や詩人で端正な文章を書くが本人は破綻している奴はいくらでもいる。