自由なファイル形式とPDFとWordML

実はStallman氏のコラムで本当に問題にしたいのは「Word使うなボケ」ではなく、例文のところにある文章、"If you send me the plain text, HTML, or PDF"である。
PDFっていうのはPlain textや HTMLと同列に並べちゃっていいんだろうか?
PDFは仕様はOpenだし、royalty-freeだが、patent-freeであるかどうかはちょっと調べた限りではわからなかった。また言語仕様自体はAdobeが明確にCopyrightを主張しているのは確かである。
PDFは自由なファイル形式と言えるのだろうか?それ以前に自由なファイル形式とはなんであろうか?
なんでこんなことを考えたかというとYAMADAS ProjectでJimmy Walesのコラム自由な知識には自由なソフトウェアと自由なファイル形式が必要を読んだのがきっかけである。あたしゃこういうものを読むと逆ネジを食らわせたくなるところがあって、じゃあWikipedia財団ではAdobeのもんであるPostscript形式なんてものは使わないよな、印刷はどうやっているんじゃい、オイとか突っ込みを入れたくなったのだ。そこで問題になったのがPostscriptの立場である。Postscriptは自由なファイル形式と言えるのだろうか?
自由なファイル形式についてはJimmy Walesは問題のコラムで「プロプライエタリであったり、特許の足かせのあるファイル形式」ではないものと認識しているらしい。しかしこれは厳密な定義とは言えない。Freeの問題を議論するには厳密な定義が不可欠だ。
というわけで、こういうことはやはりStallman先生に聞くのが一番なので検索をかけてみて引っかかったのが"We can put an end to Word attachments"である。これを読む限りでは厳密な定義はないのだけど、少なくともPDFはFree Software的には問題がない形式とStallmanが考えているのは確かである。しかし本当にそれでいいのかという気がしないでもない。
ちなみにWordのファイルフォーマットはStallmanのコラムではかなりぼろくそに書かれているが、現在ではXML化されWordprocessingMLとして公開されている。これもXMLがらみの特許があるので自由なファイル形式といえるかという問題はあるが、Free Softwareとの親和性についてはPDFと同程度の立場ではなかろうか。だから"We can put an end to Word attachments"などと非難できる根拠は失われていると僕は思う。
やはりRichard Stallmanといえど読み違えることはあるらしい。