消えていくもの

<営業停止>新潟・長岡の老舗温泉旅館 地震被害が追い打ち
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041109-00000055-mai-soci

同館は1871年に開業。「長岡の奥座敷」として親しまれ、80年代後半のバブル期には1億7000万円の年間売上高を計上した。しかし、近年は宿泊客の減少などから厳しい経営を強いられており、地震被害が追い打ちをかけた形となった。

村が消える
http://www.asahi.com/column/aic/Tue/d_takuki/20041109.html

ガスも水道も電気も電話も、かつてはなかった。そこに人が住んでいて集落があったからこそ徐々に引いていったのであって、その逆に、人がいない場所にガスや水道を引いて、さあ、住んでくください、ということにはならないだろう。となれば、我が家がある集落だけでなく、あちこちの集落が消えていくことは間違いない。あまりにもあっけない。

我が集落の奥には、かつて人家数十戸の別の集落があった。その集落は数十年前に全戸が移住して消滅した。当初はつぶれた家屋が見えていたらしいが、何回かの冬を経て、完全に土に還った。今はもう、訪ねても、そこにかつて人家が並び、人間が暮らしていた気配はまったく残っていない。
我が家もこれから同じ運命をたどるのだろう。

鐸木能光氏のコラムは好きじゃないんだが、今回ばかりはご同情申し上げる。
しかしこの村が消えるというのは勝手な想像だが別のおぞましいイメージを想起させるところがある。
人工延命治療である。
つまり今の山奥の村というのは、別のところ、いやはっきり言ってしまえば都会から電気やらガスやら水道やら下水やら電話を引き込んで暮らしているのである。
ところがこれがすっぱりと今回の地震で切られてしまったわけだ。
そうなると生命維持装置から管が切られた患者と同じで死ぬより他はあるまい。
電気のようなライフラインに限らずお金でもそうである。最近流行の三位一体改革ってやつも結局はこれに尽きる。
鐸木氏は「人がいない場所にガスや水道を引いて、さあ、住んでくください、ということにはならないだろう。」と書いているが、まさにそういうことが起きるのがニュータウンの開発というやつである。この差はなんだろうかね。

追記

新潟県中越地震ユニバーサルサービス
http://blog.goo.ne.jp/hwj-sasaki/e/e6af2a1897c43dabc20ec847acef034f

血管を守る男達の話である。