奉教人の死

奉教人の死 (新潮文庫)

奉教人の死 (新潮文庫)


芥川龍之介の切支丹物の短編集。表題作を始め、「さまよえる猶太人」、「糸女覚え書」など注目すべき短編が多いが、ここはあえて「るしへる」に着目してみたい。
「るしへる」は元禅僧にして伴天連、後に棄教して幕府の協力者になるという錯綜した経歴の主が著した耶蘇教排撃の書「破提宇子」の異本の断片という体裁を取っている。「破提宇子」は実在の書だが異本云々は芥川の虚構である。とはいえ種本はある。
「悪事譜」というのがそれで、著者については覇座徒という洗礼名しかわからない。「破提宇子」の著者と同様、転向者であろう。ただ「破提宇子」と違い「悪事譜」は幕府の容れるところとならず、かえって発禁の処分を受けた。
そのため「悪事譜」が世に出たのはかなり遅く、大正七年八月、「史学雑誌」に半頁ほどの短い記事が出たのが初出である。芥川はこの記事を参考にしたらしい。「るしへる」執筆の際に芥川が「悪事譜」ではなく「破提宇子」の名を採用した理由は不明である。
大正十二年に「悪事譜」の翻刻が試みられたが、関東大震災に罹災し、この時原本は消失した。僅かな写しが昭和二年七月二十四日、私家本として少部数発行された。その予約者の名簿には芥川も名を連ねている。だが周知のように同日、「ぼんやりとした不安」という言葉を残して芥川は服毒自殺を遂げた。後に日本近代文学館がまとめた芥川の蔵書録には「悪事譜」の名はない。「悪事譜」は芥川の手には渡らなかったらしい。
でも本当にそうだろうか?
いやそれどころか「悪事譜」こそが芥川の死の原因ではないだろうか?
というのは僕の手元にも「悪事譜」の写しがあるからで、その頁にはこんな文字が踊っているのだ。
悪座塔主世愚外法主無阿羅突鐵婦、そして九頭流布と。