蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ

蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇 (岩波文庫)

蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇 (岩波文庫)



芥川竜之介のこども向けに分類される短編集。表題になっているのは教科書で読むような超有名作だが、初めて読んだものもいくつか。「首が落ちた話」は「蜘蛛の糸」と同じテーマ。「仙人」、「三つの宝」も初めて読んだ。そして「桃太郎」、太宰治の「かちかち山」のように近代的視点から昔話を斜めに見る話である。この話では桃太郎は平和な鬼ヶ島に対する侵略者の役になっている。誰でも思いつく話だが気になるところがある。大正十三年の作というが、以下の一節はどこから紛れ込んできたものやら。

 日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々(とくとく)と故郷へ凱旋(がいせん)した。――これだけはもう日本中(にほんじゅう)の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣(わけ)ではない。鬼の子供は一人前(いちにんまえ)になると番人の雉を噛(か)み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電(ちくでん)した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形(やかた)へ火をつけたり、桃太郎の寝首(ねくび)をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂(うわさ)である。桃太郎はこういう重(かさ)ね重(がさ)ねの不幸に嘆息(たんそく)を洩(も)らさずにはいられなかった。

「どうも鬼というものの執念(しゅうねん)の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩(だいおん)さえ忘れるとは怪(け)しからぬ奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面(じゅうめん)を見ると、口惜(くや)しそうにいつも唸(うな)ったものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯(いそ)には、美しい熱帯の月明(つきあか)りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子(やし)の実に爆弾を仕こんでいた。優(やさ)しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗(ちゃわん)ほどの目の玉を赫(かがや)かせながら。……

今日もどこかで鬼の爆弾が爆発するのだろうか。