自由なソフトウェアと不自由なサービス

すみません。昨日はかなりひどいものを書いてしまいました。名指ししてしまった結城さんyomoyomoさんには深くお詫びします。
でもやっぱり、ああいう風にあちこちで「Gmailいりまへんか?」などとやっているのを見るとからかいたくなるというか、それ以前に強い違和感を感じるのですね。

現代の我々のコンピュータ環境の一部は、GPLに代表されるような自由なソフトウェア、使用すること、改変すること、配布することが自由なソフトウェアに支えられています。このコンピュータ上での自由を求めるという動きはクリエイティブコモンズという形でソフトウェア以外のもの、ドキュメント、音楽データ、映像データその他コンピュータ上でプレイ可能なものに及ぼうとしています。この流れはもはや押しとどめることは不可能でしょう。CCCDなどはまさにこのような流れに棹さそうとして撃沈されようとしています。現代のコンピュータユーザーはコンピュータ上での人為的な制限を嫌い、自由を愛するということになっています。少なくとも建前としてはそういうことになっています。

ところがその一方でOrkutGmailGreemixiといった参加することに妙な縛りがある、そしてその縛りがあることによって希少価値が出る。そういったサービスが何故か人気が出るという現象が起きている。最近は下火になりましたが、一時はOrkutの参加権がネットオークション上で高値がつくということもありました。ソフトウェア、音楽データについては使用すること、配布することの自由を求める。その一方で参加すること、使用権を配布することに人為的な制限が課せられているサービスにホイホイと加入する。場合によってはクレクレタコラ状態になってまで参加権を求める。これは矛盾しています。僕にはそう見えます。ソフトウェア、その他諸々について自由を求めるならば、こういった妙に不自由なサービスについてはきっぱりと拒否すべきなのです。いやまあ、限定品の万年筆なんぞを手にしてニヤニヤ笑うような奴がこういうことを書いても説得力は皆無なのですけど(笑)

こういう違和感は以前にも憶えたことがあります。Redhatその他もろもろのオープンソース系企業がIPOを果たした当時のことです。
これらの企業はPRの一環と言うこともあるのでしょうが、Linuxコミュニティに対しRed Hat 株をIPO価格で購入する権利を与えるという決定を行いました。これはLinuxコミュニティからは好評をもって迎えられました。Linuxの発展に寄与した人達が金銭的に報われるのは当然のことだと考えたからです。しかしこれは何かがおかしい。LinuxコミュニティのHacker達はGPL、つまりソフトウェアは自由に複製され配布されることに高い価値があると認めている筈の人達です。それがIPO株などという複製や配布が厳しく制限されているが故に高い価値が出るものをホイホイと受け取る。これは絶対何かがおかしい。いや、言いがかりだということはわかっていますが、やっぱり何かがおかしい。誰か一人くらい「こんなプロプラエタリなものはいらない」と突っぱねる人がいてもいいんじゃないでしょうか。
と思ったら、やっぱりいました。もちろんあの人です。Richard M. Stallman。彼はRedhatIPOの件についてはこうコメントしたそうです。

「私はその件に関し何も知らないし、あまり関心もない。」

素晴らしい。しかし残念なことに株がプロプラエタリだから受け取らないのではなく別の理由のようです。

…(Red Hat と VA の)両社は、「フリーでない」ソフトウェアをその製品に含んでおり、 それらの株を所有することは自分の主義を致命的に傷付けてしまうことだと Stallman 氏は 考えたのだ…」

まあそうわけで、このエントリを最後にGmailOrkut、その他の諸々についての言及はたぶんしないことにします。わが敬愛するアラン先生も「悲劇的な大げさなことばで自分自身の心を引きさいたり、それを他人に伝染させて他人の心を引きさいたりしないようにしなければならない」と書いていますし。以下の発言がGmailOrkutその他の諸々についての最後の発言ということになるでしょう。恐らく。

私はその件に関し何も知らないし、あまり関心もない。