幽霊船の謎

海洋奇譚集 (知恵の森文庫)

ロベール・ド・ラ・クロワ、「海洋奇譚集」、著者曰く「信用出来る限度を超え、想像上の限度さえ超えてしまう」話を集めたノンフィクションである。ただノンフィクションであるので個々の物語の面白さはどうしても元になった事実の物語としての出来に左右される。だから水も食料もない海上を3週間漂流して生還した男の話「沖合のロビンソン」や、男達は生きるために寒さと睡魔に必死に抵抗していたが、その一方で気温が上昇したら乗っている氷塊が解けて厳寒の海に落ちてしまうというジレンマで始まる「氷塊の救助」は抜群におもしろいが、船が消えました、海賊にやられたらしいですという「エイジアティック・プリンス号はどうなったか」はつまらない。惜しいのが「漂流船の出会い」。暴風雨にやられてマストを全て失った難破船の乗員が、乗組員が黄熱病に倒れ操船不能になった帆船と出会い、そちらの船に乗り移って生還するという奇跡のような話だが、一番肝心の、なぜ洋上を彷徨う2隻のが邂逅したのかいうポイントはあっさり「いらいらする謎が残った」と片づけられる。もう少し盛り上げてもいいんじゃないかと思わなくもない。だからといって盛り上げるためには、話を適当にでっち上げたり、ねじ曲げたりしてもいいというわけではない。


小学生の頃、幽霊船の話を図書館から借りて読んだ。その本の事は講談社の本だったということしか憶えていない。中身はほとんど忘れてしまったが、一つだけ細部については怪しくなったが、今でも思い出せる話がある。


帆船時代の話でもないし、かといってレーダーや航法機器が常備された時代でもないから第一次世界大戦の前後だろう。場所はたぶん北大西洋だと思う。というのはこの話で重要な役割を果たすのは深い霧だからだ。そして登場する船は2隻、と書けば勘のいい人はわかると思うが、霧の中での衝突事故である。現代でもしばしば起こる出来事だ。少なくとも発端はそうだった。
船の名前も覚えていないが、A,Bでは味気ないので、ドレスデン号とグラスゴー号と名付ける。深い濃霧の中、二隻の船が互いを視認した時にはもう手遅れで回避行動も間に合わず両船は衝突。ドレスデン号の船腹にグラスゴー号の船首が突っ込み大きな穴を空けた。大量の浸水に見舞われ沈没の危機に瀕したドレスデン号の船長は船を救うのは不可能と判断、即座に退船命令を出した。救命ボートが降ろされ、乗組員達はドレスデン号を離れていった。沈没寸前のドレスデン号の船体を深い霧が覆い尽くし、救命ボートからはすぐに見えなくなった。
一方、損害が軽微だったグラスゴー号はその場に停船し、救命ボートの収容準備を始めた。これは不幸中の幸いであった。ほとんどの海洋事故では救助船が来るまで船員達は孤独な漂流を強いられる事になる。「海洋奇譚集」には救助の手が差し伸べられず、自力で海岸にたどり着く羽目になった事例がいくつものっている。自分たちの船を沈めた相手とはいえ、すぐ近くに救助船がいるのだから、ドレスデン号の乗員の立場はそういった数奇な運命を辿った人々に比べれば、遙かに幸運と言えた。だがその幸運も長くは続かず、彼らの物語も「海洋奇譚集」のような本の中に納められることになった。
濃霧の中からさらに1隻の船が現れ、グラスゴー号めがけて突進して来たからである。その光景は両船、特にドレスデン号の乗員にとっては信じがたいものであった。その船はドレスデン号、彼らがついさっき見限った船そのものであった。
今回も船の姿が見えた時にはもう手遅れで、しかもグラスゴー号は停船していたので回避は不可能だった。先ほどとは逆にドレスデン号の船首がグラスゴー号の船腹を食い破った。そのためグラスゴー号の乗員も要救助者の仲間入りを余儀なくされた。間もなくグラスゴー号は沈み、ドレスデン号は再び霧の中へと消えていった、というお話である。確か「復讐を果たした船」というタイトルがついていたと思う。


この本を読んでから20年くらい後、僕は別の本を読んでいて、全く同じ物語に出くわした。こちらの本の事はハードカーバーで少し字が大きかったというくらいしか憶えていない。
霧の中で2隻の船が衝突、沈んだと思われた船が霧の中から現れてもう1隻の船に衝突したというところまで同じである。ただしこちらの話には「ドレスデン号は再び霧の中へと消えていった」とは違う結末がついていた。
実は2回目の衝突事故の後、ドレスデン号の乗員が幽霊船に乗り込んで調査をしていたのである。ドレスデン号はまだ浮いていたので船は救えるのかもしれないと思ったらしい。とはいえ無人のまま航行を続けるドレスデン号に乗り込むには並はずれた勇気が必要だったに違いない。
種明かしをするとドレスデン号はもちろん幽霊船ではなかった。ただ沈没寸前と思われた船が予想外に長く持ちこたえただけである。そして退船を急いだので回避行動をする際に切られた舵や稼働状態のエンジンもそのまま放置された。よって放棄された船は航行を続け、深い霧の中をぐるりと一回りして衝突が起きた地点に戻ってくることになった。そしてその進路上にグラスゴー号が停船していたというわけである。
偶発的な要因が大きいとはいえ、ドレスデン号とグラスゴー号の再衝突に謎はない。この話には「いらいらする謎」は残らなかった。なおドレスデン号も結局は放棄され「再び霧の中へと消えていった」。


いくら海が広く、神秘と謎に満ちているとはいえ、こんな話が二つも三つも転がっているとは思えない。この二つの話の元ネタは同じものだろう。そして僕が子供の頃に読んだ幽霊船の本の著者が、幽霊話をひとつでっち上げるためこの話の尻尾を切ってしまったのだろう。いや幽霊話だから切ったのは尻尾じゃなくて足か(笑)。


なんてことをロベール・ド・ラ・クロワの「海洋奇譚集」を読みながら思い出した。ところがこの本を読み進めるうちに僕の足下でとんでもない爆弾が爆発した。そして僕は子供の頃に出くわした幽霊に再び対面することになった。巻末の訳者後書きにこんなことが書いてあったのである。


我が国では、英訳の「海の神秘」Misteries of The Seaなどから翻訳され、少年向きに書き改められた「ゆうれい船のなぞとふしぎ」(白木茂訳、編 講談社 1972年)があります

ロベール・ド・ラ・クロワ 「海洋奇譚集」 279ページ

自分で言うのもなんだが、暴風雨にやられてマストを全て失った難破船と、乗組員が黄熱病に倒れ操船不能になった帆船の遭遇に匹敵するような出会いである。googleで少し調べたがこの本で間違いなさそうだ。霧の中からドレスデン号が姿を現した時の船員達の気持ちが今ならわかる気がする。海はやはり神秘と謎に満ちているらしい。たとえ本であっても。
しかしそうなると「いらいらする謎」が一つ残る。ロベール・ド・ラ・クロワは幽霊話をでっちあげるような作家ではない。では僕が昔読んだ幽霊話の正体はなんだろう。

  1. 僕の記憶違い。ちゃんと結末もあった。
  2. 「ゆうれい船のなぞとふしぎ」の訳者、白木茂氏が勝手に話を削っちゃった。

「ゆうれい船のなぞとふしぎ」は古本屋で5000円くらいで手に入るらしい。Misteries of The SeaはAmazonでは売っていないが、なんとか手に入らない事もないようだ。
この謎を解くにはそれなりの金と手間がかかる。しかし難破船フレデリック・スカルラ号と帆船F.J.メリーマン号のケースと違い、これは「論理」や「科学的知識」の範囲で解ける謎なのである。行動しさえすれば。
僕はこの謎に挑むべきだろうか?



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