神の目の小さな塵

Lessig BlogでゲストblogしているTimothy Wu教授だけど,なんだかよくわからない人だなと思う.

言い換えれば、海賊行為はそれ自体が報いを――罰を――もたらすといえないだろうか(逆に、支払いには商品以上の報いがあるともいえる)。市場というものはどこでもこのように機能している――生産は支払う意欲に従う。そしてもしこれが正しいなら、政府がその報いをさらに追加していることの根拠はなんだろう?

海賊行為は確かに,海賊をする奴に罰を加えるのかもしれんが,同時にこのようなケースでは海賊をする気のない人も同時に罰せられてしまう.
これは市場の失敗以外の何者でもない.フリーライダーの問題である.

もしあなたが他の多くのユーザ同様なら、答えはたぶん「あまり」だろう(外国のレッシグBlog読者のみなさん、ごめんなさい)。これはインターネットのバルカン化の小さな徴候のひとつだ。変化は誰の認識よりも速く進行している。われわれがかつてグローバルなインターネットと呼んでいたものは、数々の現実的理由によって国家ネットワークの集合になりつつある。いまだにインターネットプロトコルでリンクされてはいるが、多くの意味では分断されている。証拠をいくつか:

インターネットのバルカン化の兆候はあるが,ここで述べられているような問題よりも以下のような問題の方が深刻でないかい?

話は逸れるが、今ローレンス・レッシグの『Free Culture』を読んでいる途中である。政治問題を扱うブログの話(p.60-62あたり)のあたり、お決まりの展開はうんざりした。端的に言って、この分野に関するレッシグの認識は陳腐。「あらゆる政治色を持ったブログがたくさんある」のは確かである。しかし問題は、結局それらのブログもセクト化し、自分達に近い主張にしか耳を傾けない傾向がはっきり出ていることだ。それはレベッカ・ブラッドが『ウェブログ・ハンドブック』のあとがき、あとインタビューでも懸念を示し、そしてティム・オライリーが、「WWWで見られる政治的傾向」において、まさにレッシグがこの部分の議論の前提にしている Cass Sunstein の Republic.Com(邦訳『インターネットは民主主義の敵か』)の内容が、ウェブにおける政治傾向にもあてはまることを述べている。

同じ国の同じ言語のインターネットプロトコル的にも問題がない状況でバルカン化が進む方がよほど怖い.




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