堺港攘夷始末

堺港攘夷始末 大岡昇平
中央公論新社 ISBN:4122043743

慶応4年2月15日,泉州堺港にて警備の土佐藩士が仏軍水兵に対し発砲,11名を死に至らしめる,この変事は翌3月16日,土佐藩士11名が責めを負って切腹することで一応の決着をみた.いわゆる堺事件であるが,本書はこの堺事件を題材とした大岡昇平の遺作である.去る6月に限定復刻されたがAmazonでは全て売り切れた模様.
とてもやっかいな本.大岡昇平は執筆に構想十年をかけたが,かなり以前から堺事件を巡る論争の渦中にあり,この本の周囲は維新史や国文学の地雷原になっている.最大の地雷は同じく「堺事件」を著した森鴎外だ.
毀誉褒貶が激しい本で「堺事件」の真相を明らかにしたという評価もあるが,僕は単に真相が「藪の中」であることを示しただけだと思う.当事者の証言は事件勃発直後から食い違い,事件が政治性,思想性を帯びているが故に粉飾が多い.大岡昇平は当時の記録を一字一句のレベルまで検討して真実を見いだそうとしているが,成功しているとは言い難い.
大岡昇平の主張にはついてはこれを鵜呑みにするのは危険で,疑問点があればノートに取って調べる必要がある.僕も読んでいて2,3疑問点を見付けた.しかしこれらの点を真面目に検証しようとすると,維新史や文学史の深いバックグラウンドが必要で,専門の研究者でないと手に負えないだろう.僕の手には余る.
事件があった慶応4年2月15日は鳥羽伏見の戦い(1月3日)の直後で,まさにこの日,徳川慶喜征討軍が京より進発せんとしていた.また維新政府の対外方針も攘夷から開国和親へと変わり,事件前日の14日には大阪で諸国外交団による天皇謁見についての協議が行われていた.その一方で堺事件の責任者,土佐藩警備隊司令箕浦猪之吉は時流に乗り損ねた攘夷論者であった.堺事件はそのような歴史の転回点に起きた悲劇であり,箕浦猪之吉,並びに共に切腹を申しつけられた10名の土佐藩士は,歴史に切り捨てられた犠牲者と言えよう.堺事件はこの後,戊辰戦争を経て西南戦争へ至る相克の歴史の端緒となったのである.

[permalink][contents][page top]