平野啓一郎『バベルのコンピューター』に見る新たなアポリア(後編)

より科学的に言えば、例えば「1,312,000文字の『A』が並んだ本」や「1,311,999文字の『A』に続いて1文字の『B』が登場する本」のように、ある明白な特徴を持つ本に限ればこのように短い別名を与えられる可能性が(上述の別名には29種類のアルファベット以外の漢字・平仮名・数字・記号を使っていることは差し引いたとしても)残されているが、29種類の文字が1,312,000個並んだ本すべてに対して同じ29種類の文字の組み合わせだけでより短い別名を与えるような命名規則アルゴリズム)は絶対に存在しない。言い換えれば、本文の1,312,000文字よりも短い名前でそれを呼ぶことができないという圧縮不能性、情報エントロピーの既約性の問題に行き着く。(別名群の一部を本文より短く、同時に一部を本文より長くすることは可能であるが、こうした別名群全体の大きさを本文群全体の大きさより小さくすることは決してできない)

すいません.索引付けに実数を使うのは反則でしょうか?いわゆる対角線論法ってやつですが.

同様にして、結局のところオリッチが『バベルのコンピューター』で暗示したものは、テクノロジーの脅威などではなくテクノロジーそれ自体の限界であったということになる。コンピュータの無謬性、インターネットの無尽蔵性を信じたい我々にとっては、コンピュータやインターネットが高々410ページのたった一冊の本のあらゆる可能性さえ汲み尽くすことができないことを知ってしまったという、もっともっと残酷な結末であったと言える。

要は現行のコンピュータがアレフ=ヌル程度のものしか扱えないというだけで,未来のコンピュータはそうじゃないかもしれない...なんてことを考えるのは僕くらいか.

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