日本におけるネットリテラシーの最高文書

ネット上では空間移動が容易なのだから、カルチャーショックを受ける機会は断然増えている。特に自分が普段から接しているコミュニティから遠いところに迷い込んだ場合はそうだし、反対に相手が迷い込んでくることもある。そこで衝撃的な言説に触れてしまったとき、それに圧倒されたり即座に噛み付いたりしてしまう前に、一度頭を冷やす習慣をつけてはどうかということである。その発言者ないしそのコミュニティが持っているカルチャーやコンテキストやジャーゴンを尊重し、あるいは今の自分にとって全く受容できない言説であるなら、見なかったことにしてとっとと忘れてしまった方が(時間の節約という意味で)ネット文化形成期の現在においてはプラグマティックなアプローチかも知れない。サンデル的な共和主義的コミュニタリアニズムが示唆したのは、実はこのような割り切りではなかったかと思う。ネット空間を広域に横断する規制の議論も出てきてはいるが、それよりもあらゆるオーディエンスがネット上に自分の(信念の拠り所としての)安全地帯たるホームグラウンドを持てるようになることが、ネットを真に社会の一部として平和裏に取り込む第一歩ではないか。

ネットリテラシーという言葉をgoogleで検索するとこれがトップに来る.
見なかったことにしてとっとと忘れてしまった方が良さそう.
たぶん釣りだろうがセンス悪すぎ.
ビザが取れなくて大変だなあ,なんて同情した私が馬鹿でございました.

追記
いろいろ調べた結果.僕個人としては「ネットリテラシー」は禁句にすることにした.だってネットリテラシーって言葉を使う連中ってクソ傲慢なやつらばかりなんだもん.まずデフォルトからして,「自分はネットリテラシーとてもとても高い」ということが無謬な前提となっている.そんでもってBlog方面においては,この言葉が使用される文脈は「世の中にはネットリテラシーの低い連中がいて困ったものだ(もちろん僕はその仲間じゃない)」と「世の中のネットリテラシーの高い人たちはこんな進んだことを考えたり実践したりしている(もちろん僕はその仲間だ)」の二種類しかなさそうな感じだ.実はネットリテラシーネタでエントリひとつ埋めるつもりだったが,やめた.傲慢な連中の仲間入りをする気にはなれないのでした.


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