イラク建国(その2)
その1から続く
この「イラク建国」だが新書版で285ページというわりと厚めの本だが,扱っている範囲がとんでもなく広い.
一応各章ごとについて書くと
- 東方へ
- 後にイラク建国において重要な役割を果たすことになる英国の女性オリエンタリスト,ガートルード・ベル(1868-1926)の前半生,そして彼女を通してローレンスを始めとする英国のオリエンタリスト,あるいは当時の英国の社会状況を描く
- 反英蜂起
- 第一次大戦勃発.当時英国の保護下にあったイランやアフガニスタンに対するドイツの謀略.アフガニスタンへと向かうドイツ密使団の苦闘(彼らはイランからアフガニスタンへの1600キロの道のりを踏破することになる).イラン国内での反英蜂起の策動.
- それぞれの聖戦
- 英国の反撃.バクダットを目指す攻撃の挫折.対トルコ戦略を巡る英国内部での食い違い(後の3枚舌外交の予兆となる).ドイツ密使団および反英蜂起の挫折.
- アワズの遺産
- いきなり歴史は1326年のイブン・バットゥータによるナジャフ訪問まで遡り,メソポタミア,つまり現在のイラクの地でのシーア派の歴史を描き,隣国のペルシャとの関係,英統治下でのシーア派反乱.ホメイニ師に言及しつつもイラク戦争後のシーア派の現状.そして最後にはムククダ・サドル師にたどり着く
- イラクという空中庭園
- 新国家イラクの建設と国境線の画定.イラク王家としてのハーシム王家の移植.(彼らはフセイン=マクマホン協定によりシリアを中心とする独立アラブ国家の盟主の地位が約束されていたが,サイクス=ピコ協定で反古にされた)新国家イラクにおける国内安定化工作.シーア派封じ込めの数合わせのためにイラクに編入されたクルド人の反抗と弾圧の歴史.クルド人の現在.
- 「豚の国」
- ジャック・フィルビー(キム・フィルビーの父)のサウジアラビアでの暗躍.ベルの死.
かなり長くなったが1920年のイラク建国にいたる歴史と,イラクを構成する3大ファクター,シーア派,バクダッドのスンニ派とクルド人の歴史.そしてイラク戦争後のイラクの現状がこの本に詰めこまれている.
しかし足りないものもある.
イラク建国後のイラクの歴史である.
一応ハシーム王家のその後や,軍によるクーデター,あるいはフセイン独裁政権についても書かれてはいるのだが,扱いは小さく,成り行き上仕方なくという感じの記述である.
恐らく意図的であろう.
というのも今から84年前,イラク建国前夜の状況はこうだからである.
英国を米国,ポンドをドルにして桁を増やすと2004年におけるイラクの現状にそのまま当てはまる.イラクでは暫定政権樹立への動きが進んでいるが結局有力者や派閥にポストを配分してということに終わりそうだ.80年前との違いはスンニ派の独占ではなくシーア派とクルド人が加わること.そして王家の代わりに民主主義が落下傘降下してくるくらいか.
シーア派のイスラーム法学者(ムジャタヒド)達が「ジハード」(聖戦)を呼びかける.五月,ラマダーン(断食月)が始まると,スンナ派とシーア派の信徒が「反英」の一点で結束し始め,メソポタミアのを争乱の坩堝にたたき込んだ.(中略)
英国は高価な代償を払わされた.英国人の死者だけで数百人,アラブ人の犠牲者は一万人を超えてしまう.大戦はもう終わったというのに.1500万ポンドの臨時出費に英国の国庫は悲鳴を上げた.
(イラク建国 P148-151)
- 暫定政権人選 悩めるブラヒミ氏 クルド側、3分配に反発「大統領か首相を」
- http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040525-00000009-san-int
イラクは建前としてはこの80年,統合された近代国民国家であり,王制打倒後は共和国だったはずだ.それがいまさら民族や宗派ごとのポスト配分という近代国家以前のところから始めざるを得ず,また80年前と同様の反乱という状況に陥っている.
結局,アメリカの侵攻によりこの80年のイラクの歴史はリセットされてしまったのだ.
アメリカはサダム・フセインを打倒するつもりが,英国が80年前に青写真を書いたイラクという人工国家を破壊してしまったのである.
- 追記
- イラクの歴史についてはここがまとまっているhttp://ww1.m78.com/topix-2/iraqi.html