等々力陸上競技場の思い出

等々力陸上競技場はJ2川崎フロンターレのホームスタジアムである.
僕は川崎在住のベガサポという裏切り者だが,2000-2002シーズンあたり,特に2001シーズンはよくここに行った.
率直に言って古くて汚いし食い物がまずくて良い印象はない.
思い出深いゲームというと正直あまりない.
一番記憶に残っているのは2001年J2第1クルーの川崎-京都戦である.
この頃,川崎には「川崎の誇りエメルソン」という選手がいた.川崎の誇りである.南武線車内で見た川崎フロンターレの広告にそう書いてあったのだから間違いない.
このゲームでもエメルソンは川崎の誇りにふさわしく2得点を得た.
ホームチームが2点もとれば普通は安泰のはずだが,このゲームはそうではなかった.
当時の川崎のDFラインには,川崎サポの表現を借りれば「ブロントザウルスが余裕で通れる」大穴があいており.川崎はこの穴を突かれて4点を失った.エメルソンが1点取るたびに倍返しされる勘定である.
この試合で前年度J1から降格した川崎フロンターレの「1年でJ1復帰」という夢は事実上絶たれた.それ以前のレベルであることが誰の目にも明らかになったのである.
そして川崎フロンターレを更なる不幸が襲う.
J2の監督は日本人じゃなきゃダメよんという不文律のおかげで,コーチの立場に甘んじていた事実上の監督であるブラジル人が,よほど不満を抱いたのか「川崎の誇りエメルソン」を連れてJ1の浦和に亡命したのである.エメルソンにしても自分が1点とると倍返しされるチームには愛想が尽きたのであろう.
入団会見で彼は「1年でJ1に昇格する」と言ったらしいが,フロンターレはともかく,彼自身はこの公約を見事達成したのだった.
浦和は「川崎の誇りエメルソン」を連れてきたブラジル人への報酬として,当時浦和の監督を務めていた別のブラジル人を首にして,監督の座を彼に提供した.
ところで,どっちが「チッタ」でどっちが「ピッタ」だっけ?まあいいや.
しかし悪いことは出来ないもので,このブラジル人は浦和にもう少しで1年でのJ2帰還という栄誉をプレゼントするところであった.
もっとも彼が去ったフロンターレはその後釜に有能な石崎監督を迎えることが出来た.また浦和も後にハンス・オフト監督の下,つまらんサッカーと揶揄されつつもついにナビスコカップ優勝という栄冠を勝ち得た.もしかしたらあのブラジル人は幸運の...なわけがないよね.
有能な石崎監督であったが,彼には3位の呪いがかかっており,今年フロンターレは惜しくもJ2で勝ち点1差の3位に終わり,J1昇格を逃し,石崎監督の退任が決まった.とはいえ彼は川崎フロンターレに素晴らしいチームと満員のスタジアムという得がたい財産を遺したのである.
僕は来年,不本意ではあるが,また等々力通いを始めることになる.サッカー観戦者としては満員のスタジアムで素晴らしいチームの戦い振りを見るのは楽しみであるが,ベガルタ仙台サポーターとしてはあの閑古鳥が鳴いていた等々力競技場とヘタレなフロンターレを懐かしく思うのである.
というわけでフロンターレ様,まずは,へっぽこなブラジル人コーチを雇うところから始めませんか?

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