特集:秋の夜長はイーブックで過ごす

http://www.zdnet.co.jp/broadband/0310/23/lp10.html
など

この分野はVoygerのエキスパンドブックあたりからつき合っているが屍累々である.
専用端末っていうのも時代に逆行しているというか
可能性としてはipodみたいに何千何万という本をHDDに入れて読むというならまだしも
(持って歩ける本棚)512Mで15-20冊位ではメリットはない
mp3プレイヤーと対比してみる考察は面白いかもしれない


http://www.zdnet.co.jp/broadband/0309/11/lp18.html

ユーザーは朝、テレビからSDカードを取り出し、ΣBookに挿してから電車に乗り込む。車内では、見開きの2枚の液晶で新聞を閲覧できる……と、いうわけだ。これなら、わざわざPCを起動することもなく、ネットワーク家電だけで毎日の情報取得が可能になる

このコンセプトを考えた人間は電車で通勤してるんだろうか?首都圏では無理だよ.
文庫本すら読めない
あとΣって名前は辞めたほうがいいと思うよ

読み返して気が付いたのだが,ネットワーク家電開発に見られるPC外しというかPC嫌悪症と言うのはどの辺からきてるんだろう.たぶんPCが全てを飲み込むみたいな発想が大嫌いなんだろうな

あと本に関する概念が固定的なような気もする

しかし、早川氏はこれも問題はないと考える。「我々は、“本”を開発したのです。本に検索機能は、ないですよね? 確かに、機能を付加しようとすれば、いくらでもできる。しかし同時に、操作が複雑にもなってしまう」。それでもいいのだろうか、と早川氏は問いかける。単機能での割り切りは、幅広いユーザーを獲得するためにも、必要なことと判断したのだろう。

ガイドブックなんかだとすごく欲しいですが,脚注.検索機能.索引とかどうすんのかね?

とも思って読んだ見たら

端末はフォントを利用せず、画像をスキャンした1枚のイメージとして扱うことも、ポイントの1つ(記事参照)。早川氏は、「フォントだと、ソフトウェアの都合で勝手に改行したり、改ページしたりしてしまうケースがある」と話す

ということで明らかにないな.やっぱダメジャン
しかもあちこちに作家側の要望云々という言葉がちらちらする.つまり作家側には十二分に配慮しつつ,読者はこんなもので充分みたいな発想で作られているのだろう.

読み返してみてさらにはっとする.要するに小説というか作家様がお書きになる本以外は本に非ずという発想で作ってあるのだ.つまり文学至上主義(最近はコミックも文学に入るらしい)なのだ.なるほど.検索機能がないのもうなづける.検索機能が必要になる本は実用書や学術書で文学じゃないよな.なんて古典的な.

というわけでΣBookに隠れた思想を見つけてしまいました(笑)

追記
遠藤周作の「役たたず」を思い出してしまった.本の世界では役に立たないものほど偉いのだ.