「持たざるもの」とオープンソース

Matz日記の話題.これを読んでふとやなことを連想してしまった.前日のまつもと氏の日記からの引用になるが

私はソフトウェアを開発している。私のソフトウェアには価値がある。それがたとえ無料で配布されていても。価値があるソフトウェアには、それからお金を生む方法がある。

私のソフトウェアに価値があり、それからお金を生む方法があるならば、無料で配布されているかどうかに関係なく、それから収入を得ることができる。

この「ソフトウェア」というところを思想や宗教に入れ替えてみるとどうなるだろう?

私は宗教を開発している。私の教えには価値がある。それがたとえ無料で配布されていても。価値がある教えには、それからお金を生む方法がある。

私の教義に価値があり、それからお金を生む方法があるならば、無料で配布されているかどうかに関係なく、それから収入を得ることができる。

これは人類最古のビジネスモデルであり,現在でも立派に通用するビジネスモデルである.宗教や思想それ自体は金を生むわけではないが,十二分に信者を増やせばビジネスとして立派に成立する.当人たちは表向きは,あるいは本心からビジネスであることを否定するだろうけれど.

さらに勝手に改変して引用しちゃうけど

もちろん問題はまだ残っている。教義から御利益を得ている人々から教祖様へ還元するチャネルが狭い(あるいは無い)こととか、

成功している宗教はこのあたりのチャンネルも確立している.
たとえば

  1. 本を売る(基本やね)
  2. 講演会,イベント開催
  3. お布施

しかしこうしてみると上記の三つのうち二つはオープンソースの開発者もきっちりこなしているわけで,問題は3番目のお布施を定期的かつ確実に徴収する方法であろう.

とはいえ真の問題はこのようなビジネスモデルは教祖様とその周辺の使徒しかもうけられないということである.わたし自身こういうのは大いに好かない.その点で「もたざるもの」の指摘は正しいと思う.

結局オープンソースってやっぱり宗教なのかしら?