サッカー監督の寿命


J1第8節 磐田3−0広島(16日、ヤマハ) 広島がチーム立て直し策として、首脳陣の入れ替えも視野に入れていくことが16日、分かった。就任4年目の小野剛監督(43)の下、優勝を目標に戦ってきたが、リーグ8戦で3分け5敗と最下位に低迷。


小野さんもそろそろ限界かなと思う。
サッカーの監督の寿命は短い。結果が出ないと開幕数試合で首になる。
もちろんこれは失敗した監督の場合で、広島の小野剛監督は降格したクラブをJ1に引っ張り上げ、就任3年目となった去年は優勝争いにすら絡んだのだから監督としては成功した部類に入る。それでもやはり限界はあるのだ。
サッカー監督には4年限界説がある。成功した監督は就任して3シーズン目にピークを迎え、4シーズン目に運が悪ければ首、逃げ切れても勇退になるのだ。首の代表的な例は某仙台の清水秀彦監督(1999年途中-2003年1stステージ)などorz。逃げ切った例の代表格はFC東京原博実監督。3年目にナビスコ杯を取ったが、4年目は振るわずシーズン終了後勇退。アルビの反町康治監督も3年目にJ1昇格を果たし、その後2年間指揮をとったが本当は4年目で辞めたかったらしい。
小野剛監督も4年目のジンクスに引っかかっているのだろう。このまま行くと運の悪い方か。
まあ小野さんはいいとして、もうひとり気になる監督も今年で4年目なのだよなあ。イビチャ・オシム。3年目にナビスコで優勝してリーグでも4位。
さて今年は?

教養股旅小説

草笛の音次郎 (文春文庫)

草笛の音次郎 (文春文庫)


博徒が主人公のBildungsroman。
こう書いただけで矛盾は明らかだ。
生まれて初めて旅に出た主人公がさまざまな人達との出会いを通して成長していくという典型的なとても明るい教養小説なのだが、でも彼は博徒なのだよ。そのくせ最後にはネタバレになるけどご公儀からご褒美までもらってしまうのだ。
とてもおもしろい小説。特に親分衆の描写が秀逸で綿引勝彦並にカッコイイ。だけど始終ツッコミを入れたくなるのだ。これは人生の裏街道を行く渡世人が歩く道じゃないだろう。いっそ堅気になったほうがええんやないかと。

フィナーレにはまだ早すぎる

シンガポール人が探した「秘伝書」あった
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060413-18366.html

六本木じゃなくて青森にいたんかい!陸奥の国おそるべし。
とにかくこれで一件落着といいたいがまだ安心はできないなあ。「代わりに「亡くなったシュイさんに空拳法道の認定書を贈りたいと申し出たところ、ご家族も快諾してくれた」といい、14日に青森市内で認定式を行う」とのことだが、14日までになにかが起きるに違いない。あの道場で所持していた秘伝書を奪った弟子が再び現れてまた秘伝書を奪っていくとか。
きっと白神の山中で最後の対決が行われるのであろう。そして苦闘の末、勝利した主人公は、悪弟子から「お前は師を越えたな」と言われ悟るのであった。この秘伝書を求めた苦難の旅路から得たものが拳法の極意であったと……てな話はベタ過ぎるか。

 

ヒデヨシ31歳

ますむらひろしアタゴオルは猫の森』アニメ映画化決定。
http://www.saiani.net/article/16439493.html


昨日のエントリで使ったフォーマットに従ってヒデヨシのことを書くとこうなる。

ヒデヨシ 31歳
アタゴオルは猫の森ますむらひろし 初出1975年

ゴルゴ、アンパンマンあぶさん稗田礼二郎北島マヤ両津勘吉というOver30なキャラクターの面々にヒデヨシが乱入。「うぉーい、オレも混ぜろ」とやってくるのはヒデヨシらしくて笑ってしまうが、ただでさえ個性的な面子の中にこの謎の生物が加わったおかげで長生きするキャラクターの一般法則の確立はほぼ不可能になってしまった。
絶対運だよな。これは。

夢幻魔実也君24歳

夢幻紳士 逢魔篇

夢幻紳士 逢魔篇


夢幻紳士 (冒険活劇篇1) (ハヤカワコミック文庫 (JA844))

夢幻紳士 (冒険活劇篇1) (ハヤカワコミック文庫 (JA844))

「逢魔篇」はミステリマガジンで連載中の「夢幻紳士」のコミックス第二巻。「冒険活劇編」は今から20年以上前に出たコミックスの多分2度目の文庫化。
文庫の方をあれこれ懐かしくチェックしているうちに冒険活劇編の奥付にある初出一覧の記述にちょっとピンと来るものがあった。

「脳交換クラブ」月刊Betty創廃刊号(1982年8月)

この月刊Betty創廃刊号という人を食ったタイトルの掲載誌も気になるが*1僕にとって重要なのは1982年8月という日付の方で、夢幻紳士の主人公、夢幻魔実也君は設定上の年齢を無視して人並みに歳を数えると今年で24歳ということになるのだ。厳密に言えば冒険活劇編の少年探偵夢幻魔実也君とミステリマガジンで連載中の迷宮編に出てくる幻視者夢幻魔実也氏は同一人物ではないらしく、作者がどこかで二人の関係についてなんか書いていたはずだけど細かい事はわすれてしまった。ともかく昔からお気に入りのキャラが活躍する本が新旧同時に出るとはとてもうれしい。まあ自分の姿を鏡に映せば見れば早川書房の抱き合わせ商法に踊らされている醜態が見えるし、便乗的に秋田書店から出た文庫版の「学校怪談 (1) (秋田文庫 (55-1))」までも買ってしまっては「高橋葉介馬鹿」と言われても返す言葉もないのだが、最近綻びの目立つなんちゃら2.0なんてBuzzWorldに踊らされて結局はググル様に貢ぎ物を捧げるよりは高橋葉介で踊りまくる方がずっとマシだ。アイちゃんもそう思わない?
さて夢幻魔実也君は24歳になった。24は人の世界ではまだ青年の部類に入るが、ザラ紙の向こうの世界ではかなり年寄りの部類に入る。最近ジャンプを読んでいないので今の状況はよく分からないのだけど、昔はあの雑誌のキャラの平均寿命は10週間に限りなく近かった。その一方で受けるとなるとやたら引き延ばしにかかるのがあの業界やこの業界の嫌らしいところだが、それでも10年選手くらいが関の山だろう。そんな世界で夢幻魔実也君は24年も生き延びて来たのだ。素直にエライとしか言いようがない。でも24歳はマンガの世界ではどのくらいのランクの年寄りなのだろう。還暦?米寿?百歳?
こうなると他のマンガのキャラクターの歳というのも気になりだして、思いつくまま適当に調べてみた。

デューク東郷 38歳
「ゴルゴ13」さいとうたかお 初出1968年
アンパンマン 38歳
「それゆけアンパンマンやなせたかし 初出1968年
あぶさん 33歳
あぶさん水島新司 初出1973年
稗田礼二郎 32歳
妖怪ハンター諸星大二郎 初出 1974年
北島マヤ 32歳
ガラスの仮面美内すずえ 初出1974年
両津勘吉 32歳
こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治 初出1974年
エロイカ 30歳
エロイカより愛をこめて青池保子 初出1976年
ロック 28歳
超人ロック聖悠紀 初出1978年
野原しんのすけ 16歳
クレヨンしんちゃん臼井儀人 初出1990年

どうやら夢幻魔実也君の24歳はマンガの世界では老人クラブで端っこのあたりに座らされる年齢らしい。同い年のキャラはざっと探した限りでは見つからなかった。
こうやってキャラの年齢をリストにして並べてみると驚かされることが多い。現役のキャラではゴルゴが最年長だと思っていたらアンパンマンも同い年なのか。稗田礼二郎の32歳はともかく伯爵も30代突入か。美形を保つのがそろそろ辛くならないか。そしてロック。まだ28歳だったとは。絶対30越していると思ったのに。不老不死のエスパーの歳を問うのは無意味かもしれないけど。
このリストから長生きするキャラの一般法則をでっち上げてみようと思ったがやめた。20年、30年の寿命を誇るキャラが生き延びたのは必然よりは偶然の要素の方が多かったのではないかと思う。成年のキャラが多いとは思うがあくまで印象に過ぎない。掲載誌が長く続いているというのは生き延びるには有利かもしれないがロックのように背中に骸の群れを残してなお生き延びるキャラもいる。この前もビブロスが死んだばかりだ。
キャラを創った作家の創作歴が長いというのが共通点だがそれは当たり前すぎるし、作家歴は長くてもキャラの寿命は短いという漫画家も多かろう。というかそれが普通だ。
そもそもキャラと作家、作家性を結びつけること自体が誤りだし古いだろう。書店の新刊コミックの棚には手塚じゃないブラックジャックが並んでいる。今のキャラ産業のありかたを見るに、もはやキャラというのは特定作家と結びつけられない方が生き延びるには有利かもしれない。
強いて言えばキャラが長生きをするための秘訣はただ一つ、愛される。それだけだろう。

*1:吉田秋生ふくやまけいこも月刊Betty創廃刊号に描いているらしい。古本市場では1000円-2500円くらいの値が付いている

子供だまし

おもしろ古典教室 (ちくまプリマー新書)

おもしろ古典教室 (ちくまプリマー新書)

古典という過去との関わり方を現代に生きる著者の経験に即して語る本。著者曰く、青春小説だそうな。しかし自分で考えるのが大事と主張する割にはどこからか拾ってきたような一般論も混じっているのが残念。こんなのもそうだ。

子供が子供を殺すという不幸な事件がありましたが、それは、死というものがあまりにも、子供から遠い存在になりすぎていることと関係があるのではないでしょうか。病院で死に、斎場で葬式が行われる今、子供達は死というものを実感せずに育っていくのです

おもしろ古典教室 (ちくまプリマー新書) 59ページ

昔の子供に比べると、今の子供は何かが欠けている。だから不幸な事件を起こす。よく耳にする言説で、ある種のノスタルジックな人達には快く響く。そしてこの「何か」のところに自分が愛するノスタルジックなものを入れたがる。死の実感、自然とのふれ合い、戸外での遊び、喧嘩、肥後守、規律、道徳、教練あるいは教育勅語などなど。
しかしこの種の言説には自滅的な問題点がある。子供のところを大人に書き換えて論旨を逆転させると、この種の言説に内在する問題点が明らかになる。

大人が大人を殺すという不幸な事件がありました。彼らは死というものを身近に見ながら育った世代です。昔は病院ではなく自宅で死を看取り、斎場ではなく町内で葬式が行われた。昔の子供は近いところで死を実感する機会が多かった。それなのに昔の子供が大きくなった今の大人は人を殺すのです

今の子供に何かが欠けているから人を殺すのだと主張するなら、その何かを持っているはずの今の大人が人を殺すのは何故かという問いも立てられねばならない。そしてこちらの問いの方がより深刻なはずである。その何かは子供の殺人を抑止してはくれるが、大人の殺人は抑止してはくれないのだ。
子供には効き目があるが、大人には効き目はないもの。そういうものを子供だましと呼ぶ。

カツ文化圏

今回の遠征先、前橋はカツ文化圏だった。
新幹線で乗り換えた高崎もそうだ。

カツ文化圏の特徴

  • 肉が主食。カツや串焼きなど
  • 車社会
  • ロードサイドの商業地が充実している
  • 旨い店は車で15分以上行った奥地にある

非カツ文化圏の特徴

もちろんこれにはかなり偏見が入っているのだけど。
ちなみに私は非カツ文化圏の人間である。カツ文化圏に出張にいくと食い物に困る。昼飯はカツと唐揚げしかないとアジの開きが恋しくなる。